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2011.01.08
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カテゴリ:明治期・浪漫主義

  『蝴蝶』山田美妙(岩波文庫)

 以前も述べたことがありますが、文学史の本を読むのがわりと好きなもので、この作家の名前は一応知っていました。
 明治初期の「言文一致運動」の項目にほぼ必ず出てくる名前ですね。
 たいていこんな風に書かれていると思います。

   言文一致体
    「だ」調…………二葉亭四迷
    「です」調………山田美妙
    「である」調……尾崎紅葉


 私がこんな感じの説明を初めて見たのは、高校生の頃だったと思いますが、何というか、これを一読しただけで、「山田美妙の負けー」という気がしましたね。
 たぶんその感覚は、この比較を見た誰もが感じたことと思います。

 だって、そのころはそんなにたくさんの小説を読んでいたわけではありませんが、それでも「です」調の小説なんか、せいぜい児童文学までという(相変わらず若い頃からバイアスの掛かった思いこみですがー)ふうに思うじゃありませんか。

 (しかし、現在でも「です」調で浮かぶ小説作品といえば、文体としてあえてそれを用いたという感じのものですよね。例えば谷崎や太宰の告白体の作品なんか。あと、文学者で「です」調で忘れられない人は、中村光夫ですかね。)

 というわけで、文学史の本では、私が「負けー」と思ったからではもちろんないでしょうが、その後山田美妙は姿を消してしまいます。(そうか。私の記憶はむしろ逆なのかも知れません。この後、山田美妙について触れられなかったから私は「負けー」と思ったのかも知れませんね。)
 二葉亭や紅葉は、いくつか個々の作品を取り上げて説明されているのに。

 しかし、今回初めて山田美妙の小説を読んでみて、んー、まー、内容的には、文学史的評価は「宜なるかな」かなー、と。

 今回の短編集に収録されている作品はこの6作です。

 『武蔵野』(M20)  『蝴蝶』(M22)    『戸隠山紀行』(M23)
 『里見勝元』(M29) 『嗚呼廣丙号』(M30) 『二郎経高』(M41)


 これは収録順ではなく、発表順に書いてみたのですが、実はこの初めの二作品を読んで、「あれっ?」と思うんですね。少し引用してみます。

 「馬が走るわ。捕へて騎らうわ。和主は好みなさらぬか」。
 「それ面白や。騎らうぞや。すはや這方へ近づくよ」。
 二人は馬に騎らうと思ッて、近づく群をよく視れば是は野馬の群では無くて、大変だ、敵、足利の騎馬武者だ。
 「はッし、ぬかッた、気が注かなかッた。馬ぢや……敵ぢや……敵の馬ぢや」。「敵は多勢ぢや、世良田どの」。「味方は無勢ぢや、秩父どの」。「さても……」「思はぬ……」敵はまぢかく近寄ッた。  (『武蔵野』)

 
 見亙せば浦つゞきは潮曇りに掻暮れて、その懐かしい元の御座船の影さへ見えず、幾百かの親しい人の魂をば夕暮のモヤが秘め鎖して居るかと思はれるばかり、すべて目の触るゝその先の方は茫漠として惨ましく見える塩梅、いとゞ心痛の源です、否、「源」といふのも残念な。  (『蝴蝶』)

 えー? これって、文学史の説明、合ってるの? って思いませんでしたか。
 そうですね、明治20年に書かれた『武蔵野』では、「だ」調が用いられているんですね。
 そして、二葉亭が「だ」調を用いたといわれる『浮雲』も同じく明治20年なんですね。
 (ついでに紅葉の「である」調の完成作品『多情多恨』は明治29年です。)

 一方明治22年の『蝴蝶』においては確かに「です」調が用いられている、と。
 うーん、実に「ビミョー」な問題ではないですか。
 でもこれって、厳密に説明をするとこう書くべきじゃないんでしょうか。

 言文一致運動理論に基づいた最初の小説作品は、山田美妙によって生み出された。
 その後、彼の開発した「だ」調は二葉亭四迷が、「である」調は尾崎紅葉が、さらに洗練させていった。

 (だって現在では「だ・である」なんてセットで「常体」の文章って呼んでいますものね。)

 どうです。こう説明すべきですよね。
 と書きつつ、私はふっとベートーヴェンの交響曲第9番のことが頭に浮かびました。

 音楽史的常識において、交響曲に合唱を付けたのはベートーヴェンのこの9番をもって嚆矢とする、と。
 しかし実は、9番に先行する合唱付き交響曲があったということですね。
 ただ、まー、当たり前といえば当たり前ながら、最後はやはりその作品の価値が、歴史を自ら作っていくわけで……、優れた栄誉は、優れた作品が手にしてこそふさわしい、と。

 うーん、上記の引用部分なんかを読んでいますと、山田美妙が、あれこれ苦労をしながら「言文一致体」を試行錯誤している様が、ありありとわかるのですがねー。


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Last updated  2011.01.08 09:27:10
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