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近代日本文学史メジャーのマイナー

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2011.02.23
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カテゴリ:昭和期・後半女性

  『日本語が亡びるとき』水村美苗(筑摩書房)
  『本格小説・上下』水村美苗(新潮文庫)


 上記読書報告の後半であります。
 上記には2冊の本(正確には3冊の本)が挙がっていますが、直近に読んだのは前者の本であります。
 ただ、私が改めて言うまでもないですが、後者の本は近年まれに見る傑作長編小説であります。

 ということで、前回は主に『本格小説』を中心に報告を致しました。
 今回はその後半、『日本語…』が中心になるでしょうが……。

 さて、『日本語…』は、どういったジャンルの本になるんでしょうか。
 「日本文化評論」になるんですかね。もう少し大きい枠組みで言えば、社会科学の本ですかね。
 ということは、どんな主張をしても、誰かが必ず反論すると言うことですよね。

 一時、テレビで討論番組が流行った時期がありましたね。今でもそうなんでしょうか、現在私はほとんどテレビを見ないもので、そんな流行り廃りが全く分かりません。

 かつて私もそんな討論番組を見ることがあったんですが、つくづく思ったことは、「人は討論をしても自らの意見を変えることはまずない」という、きわめて索漠とした認識でありました。とっても、虚しい。

 というわけで、本書についてもきっとあれこれ反対意見はありましょうが、今回はその辺の部分はパスします。
 この度の読書で新たに知った事柄、「へぇ、そうなんだー」と驚いたような事柄を中心に(これがまた多い。なにしろ、モノ知らずの私のことですから)報告しようと思っております。

 さて、その「へぇ、そうなんだー」の一等賞はこういう事でありました。

 (略)一九〇八年、すでに『三四郎』のような小説が出版され巷で流通していたという事実である。登場人物が自分の国のみならず、自分もその一人である国民のありかたを、それこそ「世界的」な視点から見て批判し、かつ憂えるという、優れて国民文学的な小説、しかも何度読んでも飽きない、文学としてもまことに優れた小説が出版され巷で流通していたという事実である。日本は、非西洋にありながら、西洋で〈国民文学〉が盛んだった時代に大して遅れずして〈国民文学〉が盛んになったという、極めてまれな国であった。

 そしてこの「国民文学=近代日本文学」は、「世界の読書人のなかで、一応名の通った〈国民文学〉の一つとして流通している」、世界の「主要な文学」であると説明されています。

 えー、実は私、こうして「近代日本文学」にいたずらに偏したブログを立ち上げておりながら、「近代日本文学」そのものの評価が、世界的に見ても「主要な文学」であるとはまるで思っても見ませんでした。
 そんな「矜持」など全くなく、むしろ、「せめて私だけでも応援してやらねば、この子はきっと駄目になる」という、まー、何といいますか、大きなお世話の浪花節的過保護意識で応援ブログを「運営」していたのでありました。

 (参考までに、私がこんな「悪女の深情け」的体質になってしまったのは、関西圏に長く居住し、そして前世紀末あたりの時期を中心に阪神タイガースのファンであったからでありましょう。これは、同時期に阪神タイガースを応援した経験のある方なら、一瞬で理解していただけるだろう感覚であります。)

 ともあれ、なぜ「近代日本文学」が、世界の「主要な文学」に成りえたのかについても、筆者は明快な論理展開をしていますが、それを私なりに(例のように無知な私のバイアスの掛かった形で)まとめますと、近代以前の日本史の中で、日本列島の位置が隣の大国家・中国との距離関係において、あたかも太陽と地球の関係の如く、実に微妙な位置関係、まさにここしかないというピンポイントのような「近すぎず遠すぎず」の関係にあったからと説いています。

 例えばそれは、中国の諸制度をまねるほどに近く、科挙を取り入れないほどに遠い。
 例えばそれは、漢字を移入するほどに近く、独自の仮名を作り出せるほどに遠い。
 例えばそれは、男が漢詩を詠むほどに近く、男女が和歌を常時詠むほどに遠い。

 等であります。それは、日本よりずっと中国に近い朝鮮やベトナムが、文化の上で中国にほぼ飲み込まれていた事実と比較すると、「天の配剤」とでも言えそうな「奇跡的」な距離関係であったと筆者は指摘します。

 うーん、こんなあたり、面白いですよねー。
 さて更に論旨は、そんな奇跡的に誕生した近代日本文学が、英語が国際語となった21世紀以降、ひたすら滅びの道を日々歩んでいると繋げ、最後にその「処方箋」について触れるという形のものとなっています。

 まだまだ面白い部分もたくさんあるのですが、報告はここまでにしておこうと思います。
 ともあれ、えー、私は、今回の読書を通して、今後はもうちょっと胸を張って

 「私は偉大なる近代日本文学のファンである。エヘン。」

と、周りの人々に自慢してみようかなと思ったのでありました。


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Last updated  2011.02.23 06:29:00
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七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
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