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カテゴリ:昭和期・一次戦後派
『永遠なる序章』椎名麟三(新潮文庫) 全く個人的な話から始めてしまうのですが、将棋は、なぜかわりと好きな気がします。「なぜか」というのは、囲碁と比べてという意味と、なぜ囲碁より将棋かと言われれば客観的理由が何もないから、の二点ゆえであります。 よーするに、理由も何もない好みなんですけどー、ということです。 さてその将棋界に、早いものでもう亡くなって13年にもなるのですか、A級棋士の村山聖という青年(29才にて夭折故、永遠に青年になってしまいました)がいました。 5歳頃にネフローゼを発症し、以来病気に苦しみながら稲妻のように将棋界を駆け抜けた天才棋士でした。 彼の一生を描いた作品に、こんな本があります。僕は、読みながら何度か泣きました。とっても感動した本の一冊でした。 『聖の青春』大崎善生(講談社文庫) なぜこんな話から始めたのかというと、この本の中に、村山青年が爪も切らず散髪もせず将棋仲間から不潔だと言われていたエピソードがあったのを、ふと思い出したからであります。 このことについて大崎善生は、自分の体から生えだし伸び出しているもの、間違いなく生きているそのかそけき健気なものを、村山青年は慈しみ愛おしみ、切るに忍びなかったのだと説明しています。 少年時より、二十歳まで生きられないだろうと言われていた村山青年は、世の中のすべてに対して、「自らの死」のフィルターを通して感じながら成長していきます。それしか選択肢がなかったからでもありますが、そんな彼の見詰めていた世界とは、果たしてどんな姿をしていたのでしょうか。 その世界の一端が、小説世界にあります。 実は、小説世界には、探せば結構たくさんあると思います。一つだけ挙げておくと、それは晩年の梶井基次郎の作品の中にあります。 『冬の蠅』『愛撫』『交尾』……、梶井は結核であるおのれの死を、すでに身近に見据えながら様々な対象に迫っていきます。 彼の小説には、「自らの死」のフィルター越しの彼の見る世界、静謐であると同時に猥雑で、美しくも醜悪で、そして何より健気な「生の世界」が溢れています。 さて、やっとここから冒頭の椎名麟三の小説の話になります。 主人公・砂川安太は、戦争で片足を失い、肺結核の上、開巻冒頭、心臓疾患を医師に告げられます。さらに友人の破滅医者からも、三月も持つまいと言われてしまいます。 物語のスタートラインは、そこです。目の前の死であります。 ところが、ここからの展開が、何といいますか、その設定から我々の予想しうる展開を見事に裏切るんですね、少なくとも私にとってはそうでした。 彼は、奇跡のような充実した人生を生き始めます。 うーん、こんな展開って、本当に可能なんでしょうかねー。 ただ、この話の中に何とも魅力的なシーンが(それもよく似た表現で何度か)出てくるんですが、それは、「おかね」という中年すぎの醜い貧しい便所掃除婦についてです。 これも実に奇妙な展開で主人公と「夫婦関係」になるのですが、彼女が「大いびき」をかくシーンであります。 私は中年女性がいびきをかくこんなに美しい場面は、初めて読みました。 用をすませたおかねは、すぐいびきを立てている。おかねのはびきは、音高く、大きく吐き出されては、ふととまり、それが息がとまったのではないかという不安を感じさせるほど永びいて、それから再び音高く吐き出されるのだ。極度の疲労と衰弱のために、かえって眠れなくなっている安太は、いつまでもそのいびきを聞いている。その彼に、肉親や一緒に寝て来たいろんな仲間の顔が思い浮かんでいる。それらの一つ一つの顔が、彼の前に現れては、にこにこ笑いかけるのだ。そのたびに彼は微笑している。そしてやがてふと、彼は何の予感もなく、おかねへ身を寄せながら眠っている。 しかしこの、極めて観念性が高くも、間違いなく圧倒的な独創性を持つ作品を描いた椎名麟三が(ひょっとして私の誤解かも知れませんが)、その後「大作家」としての円熟を迎えなかったことについて、私は、小説以上の、運命の何とも言いようのない不思議さを感じるのでありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.05 00:39:06
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