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カテゴリ:昭和期・新戯作派
『小説太宰治』壇一雄(岩波現代文庫) 本作中に、こんな爽やかな場面が、こんな風に描かれています。 太宰はちょうど東大仏文科に在籍して、五年目だった。私が、経済科の卒業間際、二人でよく制服制帽で出掛けたが、何度も書いた通り、ゆく先は大抵質屋であるか、飲み屋であるか、娼婦の場所ときまっていた。 それでも、両三度は大学の校門をくぐった記憶がある。 今でも覚えているが、ちょうど正門のところで大きな三角定規を小脇に抱えこんだ立原道造とすれ違ったことがある。たしか、正門の前の、私のゆきつけの質屋で、何がしかの金を握っていたところだった。私達が、「ようー」と呼び止めると、立原は帽子を取って、丁寧にお辞儀をした。何かテリヤの純粋種を見るようだった。 「立原君。浅草にでもいってみない?」 と、太宰は例の甘ったるい声で、呼びかけた。太宰は時々、不必要に媚びるような、声をつかうことがある。 「さあ、今日はちょっと失礼させていただきます。何か御用事?」 立原はためらいながらも断った。 「いや、いいんだ。何でもないんだ」 と、太宰はしきりに跋が悪そうに、そう云った。 「じゃ」と、立原は通りすぎた。 「オドかすねぇ、三角定規など抱えこんで」 羨ましかったのだろう。太宰はさっさと校内の方に歩みこんだ。 立原道造といえば、私は学生時代、「キザに」その詩句を口ずさんだりしていましたよ。 かなしみではなかった日のながれる雲の下に 僕はあなたの口にする言葉をおぼえた それはひとつの花の名であつた それは黄いろの淡いあはい花だつた (『ゆふすげびと』) 道造と太宰は顔見知りだったんですね。 本作に点景として、爽やかな風のように現れる夭折した浪漫派詩人の姿は、「テリヤの純粋種」と少々揶揄的な表現ながら、本当に一瞬の爽やかな風のように捉えられています。 では、本書の後の部分には何が書いてあるのかといえば、「テリヤの純粋種」とはまるで対照的な、筆者と太宰治との「惑溺」の日々であります。 それはまた少なくない学生達が、同様に送った青春の(いわゆる「シュトルム・ウント・ドランク=疾風怒濤」の)日々でもありましょうが、その日々を、筆者はこのようにも説明しています。 だから、私と太宰の主な交友の期間は、昭和八、九、十、十一、十二年の夏までだ。そうして、太宰の生活と私の生活とがほとんど重って、狂乱、汚辱、惑溺の毎日を繰りかえしたのは十、十一年の大半だ。太宰の移転していった先は荻窪、船橋、諸病院、それからまた荻窪。 溺れる者同士がつかみ合うふうに、お互いの悪徳を助長した。私は昭和十二年の七月二十五日、桜井浜江の家に妹が召集令状を持参してきてくれた時ほど、生涯にほっとしたことは他にない。 こういった自分で止めようのない「悪習」というのは、太宰の人生の最後までずっと続いていましたね。 太宰の中期の小説が、「惑溺」と「悪徳」の前後期作品にサンドイッチのように挟まれながら、向日的かつ芸術的芳香の漂う優れた作品群であるというのも、とどのつまりは、その時期が、日本が第二次世界大戦に国中の総てを絡み取られた真っ最中であり、太宰が「惑溺」しようにも物質的にそんなものがどこにもなかった時期だったに過ぎません。(だから戦後太宰は、再びみるみるうちにもとの「惑溺」の日々に戻っていきます。) さて本書は、上記の引用文にもあるように、主に筆者が太宰治と付き合った五年間の「狂騒の日々」が描かれています。 壇一雄といえば『火宅の人』が代表作かと思いますが、その「火宅」状況の第1部ともいえそうな青春の日々が描かれているわけですね。 それは本当に「どろどろ」の日々でありますが(上記に触れた道造のエピソードが、逆に、まるで山渓の湧き水のように瑞々しく心に染み込んでくるほど)、しかし崩壊に向かって突き進む彼らの意志は、ささくれあいながら触れ合うことで、両者の創作姿勢に質的な変化を生み出していったことが読みとれます。 そんな、天才・太宰治との、どう考えてもつき合いづらいだろう日々の様子が(天才との付き合いづらさは、おそらく枚挙にいとまがないでしょう。大物を挙げれば、ベートーヴェン、ゴッホ、ドストエフスキーなどなど)、これまた個性的な筆者の感情のフィルターを通して描かれた作品です。 やはり、なかなか、興味深いものであります。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.19 08:53:43
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