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カテゴリ:昭和期・新戯作派
『白痴』坂口安吾(角川文庫) かつて坂口安吾の作品は、たくさん角川文庫に入っていたんですが、今はどうなんでしょうね。 それは別に角川文庫だけの話ではないでしょうが、多くの文庫から、いわゆる「純文学」作品が次々と姿を消しているような気がして、私としてはとっても残念です。 文芸作品に力を入れていると言われる新潮文庫でも、例えば三島由紀夫や大江健三郎や川端康成など、かつてはそれぞれ20冊~30冊くらいはラインナップがあったと思うんですが、今はどうなっているんでしょうか。 さらに「売れ筋外し」の、採算度外視的な岩波文庫ですら(まー採算度外視なんて事は決してないでしょーがー)、純文学作品についておそらくは凄い数の絶版がありますものね、他の文庫は推して知るべしですかねー。うーん。 そのかわりといっては何ですが、今となっては時代がかった純文学作品を少しずつ文庫本にしているのが、講談社文芸文庫でしょうか。しかしいかんせん、あの文庫本は、ビックリするくらい値段が高いですね。なるほど、現在では純文学作品を読むということはとても贅沢なことで、ヒマな金持ちしかしてはいけないということなんでしょうかねー。慎ましき暮らしの私としてはとても困ったことなんですがー。 そこで、いきおい古書店巡りということになります。 今回取り上げた文庫本も、古書であります。 冒頭で触れた、かつてたくさんあった角川文庫版安吾作品の、もう一つ前のバージョンの文庫です。収録作品が三編しかありません。この三作です。 『白痴』『外套と青空』『青鬼の褌を洗ふ女』 とっても薄い文庫本ですね。 私がこれらの作品を初めて読んだ時の角川文庫の版は、これではありませんでした。もう少し厚みのある、つまりもう少したくさん作品が収録されていた文庫本でした。 だからこれらの作品は再読なんですが、前回読んだ時の記憶はほぼ残っていませんでした。 で、この三作の中では、『白痴』が頭一つ抜けて面白かったです。 ただ、相変わらずというか何というか、やはり圧倒的に観念的な書きぶりですね。 そもそも安吾の資質がそういったものなんでしょうが、エッセイについてはあれほど面白い安吾作品が、小説になるとどうしてこんなに、うーん、面白くないとは言いませんが、……うーん、やはり面白くないといっていいのかなー。 でも、今回、『白痴』はとても面白かったです。 図式としては、観念としての「孤独」や「白痴」などが相変わらず書かれているんでしょうが、空襲の中を白痴の女と必死で逃げ回るシーンにはかなりの迫力があり、大いに小説的肉付けのなされた展開になっていたと思います。 ちょっと安吾について調べてみたのですが、この『白痴』と『堕落論』をもって安吾は時代の寵児となったという趣旨の文章を読みましたが、なるほど大いに納得できる評価であります。 それに比べますと、『青鬼の褌を洗ふ女』は、安吾らしい、時代に対する鋭い目の付け方をしながら、作品のまとまりとしてはとても「端正」とは言い難いものになっています。 今回特にこの『青鬼の~』を読んで、私は太宰治の晩年の作品との類似にかなり驚きました。 『親友交歓』とか『饗応夫人』とか『男女同権』といった作品群です。テーマや漂わせているものが酷似していると思いました。 もちろん同じ時代を描いた作品ですから、酷似していてもいいのでしょうが、しかし、こうして個々の作品を具体的に挙げながら比較すると、どうしても「優劣」を考えてしまい、そして太宰の作品に、圧倒的な「洗練」を感じます。 例えばこの『青鬼の~』のテーマを一言で書くなら、たぶんこんな言い方が可能なんじゃないかなと思うんですが、こう。 私は格別うれしくもなく、 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」 と言いました。 この文章は、おや?と気づく方もいらっしゃると思いますが、太宰治の『ヴィヨンの妻』の結語であります。 安吾が格闘して描いていたテーマを、実にさらりと、寸鉄人を刺すごとくに、太宰が表現として定着させていることに、惚れ惚れとするような太宰の才能が見られそうです。 生きていさえすればいいと言うところに、時代の身の丈に応じた希望をつないでいく主人公達。それをニヒリズムと見ればそうなのかも知れませんが、精一杯のオプティミズムとしてそれを描くぎりぎりの世界観。 これらの作品を読んで、今回特に私は、なんだか切ないほど「誠実」な安吾を想像してしまいました。 いえ、もちろん、いつも安吾は、本当に命がけで文学と向き合っていたのでしょうけれども。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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