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カテゴリ:明治期・浪漫主義
『太郎坊』幸田露伴(岩波文庫) 今は昔、私が本ブログを始めだした頃、ってそれは僅か二年前に過ぎないではないかーっ、と、とにかくそんなまだ私が若輩故愚かだった頃、ってそれは今でも同じだろーっ、それどころか今の方が日々加齢のせいで脳細胞が毎日何万個と死んでいって、ますます見当識がうつろになりつつあるではないかーっ、と、……いやー、文というものは、なかなか進みませんなー。(って、それも自業自得だろーっ。) とにかくそんな頃わたくしは、本ブログで上司小剣の『鱧の皮』という短編集を取り上げて、こんな事を書きました。 テーマは、岩波文庫のチョイス・ポリシーについてでした。 あまたいる過去の小説家の中で、何故この作家が岩波文庫に選ばれたのか。 どなたか、私の冒頭の疑問にお答えいただける方はいらっしゃいませんかねー。 この場を借りまして謹んで広くお答えを戴きたいと、えー、よろしくお願いいたしますー。 ただ、現段階で私が考えられる、ちょっと「不安な」考えを一つ書いてみますね。 それは、実はこのレベルの作品が、日本文学史上にさほどないのではないか、という「不安」な推論であります。 ひょっとしたら、そうなんでしょうか。 いくら「貧弱」な日本文学史とはいえ、そして、この短編集の出来は決して悪くないとはいえ、この辺のレベルの作品なら、山のように、とは言い過ぎでも、他にも多くの作家を見つけることができると思うのですが、いかがでしょう。 今回、冒頭の幸田露伴の短編集を読んで、私は上司小剣の時に書いたこの「不安」が、見事に的中していることに気が付きました。 つまり『鱧の皮』のレベルの作家は、実は少数なのだと言う確信に思い至ったということであります。 そして、上司より「上位」の超A級の作家になると、もっともっと少なくなります。 私がよく言っている、生涯にわたって優れた面白い小説を書き続けた作家は「漱石・谷崎・太宰」の三名に過ぎないと言う説は、自分で述べていた以上に、誇張された説でも何でもないということであります。 うーん、我ながら少し驚きましたねー。 そういう意味で言いますと、岩波文庫のチョイス・ポリシーは極めて適正なものであると言えることになります。 ところがさて、今回上記の本を読んで、私が本来考え始めたことは、その逆のケースでありました。 「逆のケース」というのはつまり、平均値を遙かに越えた偏差値70くらいの作家の作品でも、中には「なぜこんなものを」と思うような作品があるでしょうし、そしてそんな作品までも文庫化する必要はあるのかと、まぁ、そういうことですね。 ただしこの件については、岩波文庫はほとんどその「愚」を犯してはいません。 何といっても、「古典」重視の岩波文庫です。岩波文庫が「現代最先端」の作品として取り上げているのは、たぶんやっと第二次戦後派くらいまでではないでしょうか。 大江健三郎なんかでも、岩波文庫には入っていません。 ともあれ、冒頭の露伴の短編集にもう少し焦点を絞って、以下に述べていこうと思いますが、いくら文豪の作品とは言いながら、これはちょっと軽すぎる作品達ではないか、と。 この短編集には四つの作品が入っています。これです。 『太郎坊』『夜の雪』『不安』『付焼刃』 どの作品も、なんといいますか、一筆書きの略画の様な作品です。 もちろん仮にも露伴作でありますから、どの作品もそれなりに味のある「略画」のように読めます。『太郎坊』という短編はなかなか独特の雰囲気のある作品ですし、『付焼刃』は、基本は落語台本のようですが、台詞回しを中心にした主人公若夫婦の性格造形は、とても巧妙で面白かったりします。 しかし、あまりと言えばあまりに軽めの作品でありすぎませんかね。 こんな一連の作品までもが、はたして岩波文庫に取り上げるレベルなんでしょうか。 私は上記で触れた「超A級の作家」の中に幸田露伴を入れませんでしたが、それは私の不勉強なせいで、作家評価について自分の判断が出来るほど広範囲に露伴を読んでいないからであります。 ただ、私が読んだ範囲でいっても、露伴のすごさは分かります。 でも、でも、やはりここまで文庫に入れるかという気は、やはり、します。 まー、21世紀の現在、露伴を読むような読者は、ほぼ「マニア」に近くありましょうから、そんな人にとって、作品の出来不出来は、購入時の重要な作品選択要件にはならんのでありましょうか。 そういえば、私もそんな「マニア」の一員で、読み終えた後にはこのようにあれこれ言いますが、しかしそれは「マニア」ゆえの苦言という側面は、明らかにありますものね。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.06.22 06:32:10
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