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2011.07.02
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カテゴリ:昭和期・新感覚派

  『虹・浅草の姉妹』川端康成(新潮文庫)

 この短編集に含まれている三つのお話は、『浅草紅団』の続きみたいな話であります。
 『浅草紅団』については、以前に本ブログで報告しました。
 で、今回の文庫本を手にしてから、そうだったなーと気が付いたのですが、何に気が付いたかというと、『浅草紅団』は私は苦手だったということです。

 うーん、と唸りつつ、読み終えたのですが、この近代日本文学史を代表する小説家の作品を取り上げて、「苦手だ」というのは、「あんたには日本文学はわからへんねや」と言われても返す言葉のない様な状況でありましょーが、しかしねー、川端作品の全部が苦手というわけではなく、いえ、でも今、これも本ブログにて報告の『雪国』を書いた自分の文章を読み返してみたら、確かにこれも少し苦手そうに書いていますねー。
 うーん、困ったことです。(何が?)

 例えばこんな文章、女の足について書かれた文ですが。

 抱いた羽根蒲団の赤い縁から、垂れた裸の素足、こんなに美しいのかと、綾吉は驚きながら、その白い二つのものは、なんだか虚無の象徴のやうに思はれる甘い疲れ。

 またこんな文はどうでしょう、「お島」というのは若い女性で、美容院の中にいます。

 お島はちらりと鏡の中の娘を見ただけだ。お島も鏡の中の人間で、鏡のなかにお島を見ると、まことに鏡こそ彼女の美しさにふさはしい住居らしく思はれて、始終なにかを切つてゐるやうな美しさ。いつどこが光るやら、不安で見てゐられぬ。

 こういう文章の「比喩」が、「新感覚派」なんでしょうかね。
 そんな気もしますが、今読みますと、それ以外の部分から少し浮き上がっているようにも感じます。
 しかし、こんな比喩が次々と浮かんでくるのは、やはり持って生まれたモノという気もしますねー。まー、天才、ですかね。

 『浅草紅団』の時にも思いましたが、「風俗」を描くことが作品の主眼のひとつであるわけですね。
 昭和初期の、浅草の新しい風俗であった踊り子達です。
 でも風俗を描くことの難しさは(ましてや、その時代の最先端の若い女性の風俗を描く難しさは)、描写が古びることに対して、どう抵抗していくかという課題でもありましょう。

 川端がそんなことに気づかないはずはなく、十分そのことに備えつつ、あるいは、そのことに対して居直りもしつつ、描いているのだと思います。
 そしてその事と関連があるのか、もう一つ私が個人的には気になって仕方がない、何といいますか、一種「蓮っ葉」な文体、これなんかは、意図的に何かをねらってのモノなんでしょうが、こんな感じになっています。

 寝れなかつた朝、尚且つ美しい顔は、ほんたうに美しいのだ。
 それが若ければ、眠らぬ疲れは、反つてやさしく触れてもみたい清げを添へ、三十代ならば、欲情は朝にしくもなしと相手に思はせるやうな、艶めかしさをただよはす。
 濱村の顔はちやうど、若い方のそれで。
 例へば、これはこの物語の春ではなく、十月のことなんだが、東仲町で電車を下りると、いきなり、銀座風の洋装の娘に突きあたりさうになつて、名刺を渡されてみれば、
「今晩は愛して頂戴な。」


 「寝れなかつた」とか「清げ」とか、ちょっとルール違反の気になる表現がありますが、それだけでなく、全体がどこか「打っちゃった」ような「蓮っ葉」な、崩した文体になっていますよねー。いかがですか。

 こんな書き方こそが、時代の風俗を描くために最も相応しい文体なのだと考えることも、まー、可能なんでしょうが、私としては、こんな表現は、爪の生え際の皮のささくれのように、ひりひりと神経を逆撫でして仕方がないんですが、それって、「お前の勝手だろう」って言われてしまうことなんでしょうか。

 ともあれ、やはり川端康成は、天衣無縫の無手勝流であります。
 しかしこんな「飛び道具」のような描写は、日本文学の中の異端、というより、そもそも小説世界の異端なのではないでしょうか。
 ただ、小説世界の異端ということは、そのまま極めて高度な独創性を有すという誉め言葉と全く重なるものであり、そんな意味で、この作家がノーベル文学賞に選ばれたというのは、世界がその異端性を認めたということでありましょう。

 ……しかし、なんですか、するってぇと、ノーベル文学賞ってのは、偏屈モンのための賞、ってことですかね。
 なるほど、そういわわれれば、何となくそんな気も、しますわね。


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Last updated  2011.07.02 09:05:28
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