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2011.07.27
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カテゴリ:昭和期・新戯作派

  『さようなら』田中英光(角川文庫)

 わたくし、この作家についてはあまり知っている方ではありません。(というか、今ではほとんどの読書人でもそうだと思いますが。)
 『オリンポスの果実』という小説を、むかーし、読みました。
 ボート漕ぎの選手の話でしたが、なんだかぽやぽやっとした印象だけがあり、ほぼ完璧に内容を覚えていません。(私が内容を覚えていないということについて、これは明らかに私のせいでありまして、作品の評価を表すものではありません。)

 後、何となく知っているのは、太宰治の一周忌の日に(確か、そのように記憶するんですが、違っているかも知れません)、太宰の墓の前で自殺をした太宰の弟子。

 確か坂口安吾が、この件を評して、弱者が強者をいじめて破滅させてしまったという「強い者イジメ」の典型的なケースだと書いていました。
 (田中英光は、自身ボート漕ぎでオリンピックにも出場した、元々は気は優しくて力持ちの好青年だったそうです。でもそんな人だから、文学の毒にまともに当てられたのでしょうねー。)

 そんな作家の薄い短編集を読みました。4つの話が入っています。これです。

  『野狐』『さようなら』『聖ヤクザ』『子供たちに』

 筆者晩年の作品でありますが、すでにこのころは、本人は完全にドラッグ・ジャンキーですね。薬物中毒の妄想による傷害事件なんかも起こしています。
 そんなことを知ると、もう、タイトルを見ただけで何となく内容が分かってくるような気がしますが、事実その通りの内容です。

 けれども、その東北の宿にゆき、半月ほど経つ中、ぼくはそれがやはり自分の誤解だつたと気がつきました。君たちはこちらから、愛せるようにしなければ、決してそつちから大人を愛そうとするものではありません。精神も神経も傷つき果てたお父さんは、愛し愛されるひとが必要だつたのです。(『子供たちに』)

 こんな部分などを読んでいると特に感じるのですが、どうしてここまで甘ったれることができるのかなぁ、と。
 でも、客観的な視点がまるでないわけでは、当たり前ながら、ありません。まったくなくなれば、そんな文章は小説でも何でもありません。

 結局この「甘ったれ」の正体は、わたくし、二つの原因かな、と考えました。
 ひとつめは、よく言われる「私小説の合わせ鏡地獄」ですね。
 現実生活が(特に人間関係が)、小説に描くための素材そのものとなってしまい、自然不自然演技意図渾然一体となり、訳が分からなくなっていき最後に疲弊だけが残る、という状況であります。

 これは、古く徳田秋声の小説などにも見ることができます。
 現在にだって、別に私小説作家ではなくても、この縺れた毛糸玉のような状況は文章表現者には付きものでありましょう。

 でも、大概の作家はここまでは行きますまい。
 ここまで行く前にちょっと立ち止まって、リセット・ボタンを押します。
 ではなぜ筆者は、それができなかったのか。
 それが原因の二つ目で、簡潔に言えば「時代」なんでしょうね。
 例えば、こんな表現があります。

 ぼくたちはそうした奴隷の言葉に送られた、奴隷の軍隊としての残虐性を中国において遺憾なく発揮した。「グッドバイ」の意味する如く、神を傍らに持たず、中国語の、さようなら「再見」の意味する、愛する人たちとの再会の希望もない軍隊は、相手の人間をいたずらに傷つけ殺し軽蔑し憎悪することで、自分たちの高貴な人間性も不知不識に失つていた。ぼくたちは、中国兵の捕虜に自分たちの墓穴を掘らせてから、面白半分、震える初年兵の刺突の目標とした。或いは雑役にこき使つていた中国の良民でさえ、退屈に苦しむと、理由なく、ゴボウ剣で頭をぶち割つたり、その骨張つた尻をクソを洩らすまで、革バンドで紫色に叩きなぐつた。(『さようなら』)

 つい1.2年前にこんな体験をし、そして同時に敗戦も経験した精神が、「私小説の合わせ鏡地獄」に直面した時、リセット・ボタンなどに目もくれず、行き着くところまで突っ走ってしまうというのは、充分あり得ると思いますね。
 しかしここには、やはり、作品の出来不出来を越えた、語るに足るものがあるような気がします。

 人間は生まれる時代を選び得ません。
 でもだからこそ、文学などという存在が、湧き水のようにひっそりと現れ、そしていつまでも枯れることなく流れ続けるのかも知れません。

 最後になりましたが、短編集の表題にもなっている、上記にも引用した『さようなら』という短編は、筆者の師匠の太宰治がいつも小説にサービス精神旺盛に篭めていた「面白さの芸」が、随所に見られるなかなかの好作品だと思います。


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Last updated  2011.07.27 06:26:44
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七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
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