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analog純文

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2011.08.17
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  『闇の中の黒い馬』埴谷雄高(河出書房新社)

 夢についてこだわった小説というのは、古今東西、かなりのものがあると思います。
 その興味の正体は、突き詰めていくと結局の所、人間存在に対する興味という感じがしますが、そこまでいっちゃうと少し広げすぎですかね。
 そんなところまで広げたら、何でもかんでもそこに行き着いてしまうような気もします。

 しかし、人は放っておくと必ず夢に対して何らかの興味を持ち始める、と。
 これは、そう言いきってたぶん間違いないと思います。

 この本は、人間存在に対する興味を、夢を取っ掛かりにしつつ、普通の人なら「まぁこのへんまでが限界だろう」という地平を遙かに突っ切って、何というか、徹底的に、かつカルティに追求した、……うーん、やはり、「奇書」、でしょーなー。

 もし私が、夜、果てもない漆黒の闇のなかで思念しはじめれば、それは必ずとめどがなくなり……そしてまた、原始の混沌のようにとりとめもなくなつてしまう筈である。何故なら、暗い夜の思索は、こちらを限定づけてくれる図形のかたちを備えた何かが必ず存する明るい白昼のそれとは異なつて、無限の果ての悔暗のなかに沈んでいる漠たる遠い原始と未来、つまり、確然たるかたちも認められぬ或る根源と窮極へ必ず辿りゆくばかりでなく、そこで忽ち自己という記号をもつや否やも知れぬ一個の小さな微塵と化し、そしてついに……地水火風の四大のなかへ目にもとまらず解体されてしまうに至るのが通例だからである。しかも、そこには、一種戦慄に充ちた不思議な眩暈と、嘗て私達が出てきたところへ還つてゆくような、敢えていつてみれば〈静謐な虚無〉のなかへ無垢な嬰児のごとく睡りこむ一種甘美な陶酔さえ備つているのだ。

 どうですかね。この難解というか、根性が捻れているというか、自らの思念にきわめて誠実というか、こんな文章は。
 しかしこの文書の中で、筆者は、「存在」について考えることの困難とそれ以上の陶酔について、語っています。

 「我々はなぜここにいるのか」という究極の存在論を考えるということの、あたかも「ランニング・ハイ」のような陶酔感は、何となく想像がつくように思いますが、確かにこの筆者は、このことについて実にいろいろと、かつ奥深く考えていらっしゃいます。

 確か夏目漱石の『それから』の冒頭部当たりに、主人公の代助が、眠りに入っていき意識がなくなる瞬間が気になって、返って眠れなくなるというエピソードがあったように思いますが、本書では、そんな「やわな」程度ではありません。
 眠りに入っていく瞬間を徹底的に追及し、意識化し、そしてついに半覚半睡の時間をコントロールして夢の出発点を制御することができたと、書かれてあります。
 すごいでしょ。

 そしてそこから入っていく夢については、それはそれは実に様々な実験を行っています。(いえ、そんな風に書いてあるということで、実際の所どうなのかは、わたくし、存じませんが。)

 例えば、「私のいない夢」。
 ね。このテーマだけでも、結構興味深そうでしょ。「私のいない夢」って、どんなの?
 「私のいない夢」の認識の主体は誰?

 また例えば、「白昼の外界の事物のかたちの再現でないところの何か」。
 これも、面白そうですねー。このテーマについては、筆者はさらにその発展形として、「ヘレン・ケラーの夢」というものも考えています。

 「ヘレン・ケラーの夢」とは、たぶん「触覚だけの夢」ということでしょうが、さらにさらにその究極形として「触覚なき触覚の夢」ってな言葉もできます。
 もう、こうなってくると、やはりカルトでしょーなー。

 夢は、いつてみれば、闇の宙にかかつた蜂房のように密集した脳細胞のなかで、或るひとつの小さな見知らぬ部屋だけにぽつと青い灯が点くさまに似ている。他の小部屋のすべてがすでに灯を消して闇のなかで眠つているとき、ずつと遠い昔、薄暗い隅にあるスウィッチをいれかけたまま忘れてしまつたその部屋にいま思いがけずスウィッチがはいつて、幾つもの細長い棚の上に誰とも知れぬ何ものかに何時か置き忘れられたような何かが並んでいる暗黒の奥を鮮やかに照らしだし、不思議な味わいをもつた僅かな数行の短編小説のように、いままでも、いまも、まつたく知らなかつた種類の〈まつたく繰り返しのきかぬ、永劫のなかにたつた一つしかない〉何事かを私に物語つて、そしてまた、不意と消えてしまうのである。

 夢と存在を巡る、この九つの連作短編の最後の話の中に、このような珍しくロマンティックな(かつ一応は読みやすい)夢についての定義が書かれています。
 この辺までの概念なら、私にも何とか捉えることができそうですし、この整理された方向にさらに夢を追求していくと、たぶんもう少し理の勝った、例えば安部公房のような作品になっていくのだと思います。

 でも結局の所本書は、きわめて独創性の高い実験作と考えるとそれはその通りなんでしょうが(この筆者には、その一方に畢生の大作というか、やはり奇書というか、『死霊』という大長編がありますよね。ただし、私はこの本は読んでいません)、断片としては、はっとするような示唆とアイデアに富んだ内容を持ちつつも、過度の抽象性がその広がりを拒否し、得るものの乏しさを感じました。

 いえ、それはやはり、私の読解力のなさでありましょうか。


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Last updated  2011.08.17 07:57:05
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