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2011.08.20
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  『久生十蘭短編選』久生十蘭(岩波文庫)

 三分の一ほどアブサントを注いだ脚付のグラスの縁に、ナイフをわたして角砂糖を一つ載せ、それがすこしずつ溶けこむようにゆるゆると水差しの水を注いだ。
 いまのところ、笠原の上機嫌を害ういかなるものもないふうで、グラスの底に澱んだ金緑のアブサントが、水を注ぐにつれて乳白色に変り、それが真珠母色に輝いてくるのを浮きうきとながめていた。(『雪間』)

 杜松子という娘の顔を滋子はあっけにとられてながめながら、生れてからまだこんな美しい膚の色もこんな完全な横顔も見たことがなかったと思った。栗梅の紋お召しの衿もとに白茶の半襟を浅くのぞかせ、ぬいのある千草の綴錦の帯をすこし高めなお太鼓にしめ、羽織は寒色縮緬の一の紋で、振りから大きな雪輪の赤い裏がみえた。(『ユモレスク』)

 向は鯉のあらい、汁は鯉こく、椀盛は若鶏と蓮根、焼物は藻魚の空揚げ、八寸はあまご、箸洗い、という献立だった。青紫蘇の葉を敷いた鯛のあらいも、藻魚の附合せの紅葉おろしも、みないい知れぬ哀愁を含んだ美しさで、やすと向きあって食事をしている杜松子の顔の中にもなにかしらそれと通じあうものが感じられ、愁いに似たやるせないほどの愛情で胸をつまらせた。(『ユモレスク』)


 えーっと、挙げ始めれば切りがないんですが、この短編集には、こんな、えー、「スノッブ」といいますかー、「ディレッタント」といいますかー、「高踏派」といいますかー、……と、こんな単語が挙がってくるところからみても、作品にあまりいい印象を持っていないような感じがやはり読みとれるのかな、読みとれるでしょうね、たぶん。

 実は私はこの筆者の小説は初めて読みました。
 何といっても岩波文庫ですから、薄々はそうじゃないかと思っていたのですがね。
 何がって、やはり凄い作品でありました。
 圧倒的な端正な文章力と、作品世界に導いていく段取りの良さ、そして、作品世界を断ち切ってしまうような、切れ味の素晴らしくよいエンディング。

 書き出しが良くって、文体が凄くって、幕の引き方が水際立って鮮やかと言うのですから、短編小説としては、もうほとんど非の打ち所がないではありませんか。
 少々スノッブであろうが、それは作品世界の色合いではないですか。
 鴎外を見よ。
 ディレッタンティズムなんか屁とも思っていない、あの堂々とした書きぶり。(特に史伝における「居直り」は、とっても凄いです。)

 じゃあ、私のこの何となくのいらいらとした思いは、一体何なんでしょうかね。
 例えばこんな風に書いてみます。

 長短凡そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁慘は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。成程、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか、と。

 ……えーっと、こんな書き方はずるいですかね。ずるいかも知れませんね、たぶん。
 上記の文章は、中島敦の『山月記』からの引用であります。
 なぜ『山月記』が出てきたかと言いますと、久生十蘭と比較的年齢の近い作家で、格調の高い文体で、と考えていたら中島敦がヒットしたんですね、私の頭の中で。
 で、両者の作品をあれこれ頭の中で比べていたら、上記の文が浮かんできて、なんだ、これはそのまま使えそうではないか、と。
 でも、やはりずるい書き方ですよね。

 例えば「高踏派」のように言われている森鴎外は、思いの外に作品中に自らの気持ちを書きこんでいます。『雁』とか『高瀬舟』とか、特に史伝に移行するすぐ手前当たりの小説は、登場人物に鴎外自身がいろんな思いを託しているのが分かります。

 作品に思いを託すとはつまり、作品にある種の「尊さ」を託すことでありましょう。

 私の読み違いなのかなと言う気は絶えずしつつ、私としてはこれらの作品に、何といいますか、こういった敬虔な感情がほとんど認められなかったのが、残念でありました。

 それともう一つ、この短編集には十五編の短編が収録されています。
 それが、筆者にとって重要なテーマのひとつだからではありましょうが、戦後すぐの混乱の時代に、ブルジョア崩れやインテリ崩れのどこか無国籍風の男女が、戦争を真ん中に挟んで遙かに隔たった自分の人生の昔と今の接点を探っていくという作品が、とても多かったように思いました。

 この筆者の短編小説が、ほとんどこのパターンだというわけではないでしょうから、ひょっとしたら、収録作品に少し偏りがあるのかも知れませんね。

 久生十蘭の小説には「ジュウラニアン」という選ばれた幸福な読者がいるそうですが、その嗜好はいかにもよく分かりますね。
 残念ながら「ジュウラニアン」にはなれそうもありませんが、私は、そんなことにも考え及び、今回少し思いの残る読書の後で、もっと別のトーンの作品も読んでみたかったな、と小さく呟いたのでありました。


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Last updated  2011.08.20 06:52:50
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