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2011.12.10
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カテゴリ:大正期・私小説

  『葛西善蔵集』葛西善蔵(新潮文庫)

 太宰治の、いわゆる「中期」の作品の中に、『善蔵を思う』という佳編があります。私にとっては、「フェイヴァレット」とは言わないまでも、一貫して好感を持っていた作品であります。(この度も読みかえしてみました。やはりいい話でありました。)

 さて、この「善蔵」というのは、もちろん葛西善蔵のことで、太宰と彼は同郷人であります。善蔵の方が先輩ですね。
 今私は、「善蔵」とは葛西善蔵だとさり気なく書きましたが、実は作品中に葛西善蔵はまるで現れません。間接的な話題にも全く出てきません。よく考えてみれば、かなりヘンなタイトルでありますね。
 にもかかわらず、この「善蔵」は、やはり葛西善蔵なんですね。私も、多分解説か何かで読んだのだと思いますが、葛西善蔵のことだと思っていました。

 ところが、恥をうち明けますが、実は私は今まで、葛西善蔵の作品は全く読んだことがなかったのであります。(まー、そんなケースって、結構いっぱいありますよね。よーするに、知ったかぶりであります。ははは、……すみません。)
 葛西善蔵には、断片的な文学史的知識とイメージがあるだけで、それは「私小説作家の極北」というイメージであります。例えば文学史的系譜を書くと、こんな感じ。

  徳田秋声→宇野浩二→葛西善蔵→嘉村礒多→牧野伸一→坂口安吾

 まー、こんなあたりでどうでしょ。これは、必ずしも師弟関係があるという系譜ではありません。「善蔵→礒多」には、それに近い関係があったように思いますが、とにかくそんな私小説系譜であります。(最後の安吾は、まー、私小説ではないですね。)

 さて、この度、初めて葛西善蔵を読みました。(おかげで、太宰の『善蔵を思う』がますます好きになりました。)
 しかし、……うーん、なかなか、評価の難しい作家だなー、という気がします。

 というのは、冒頭の短編集には十の作品が収録されているんですが、そのうち最も有名な『子をつれて』と晩年の『湖畔日記』とは、確かに良かったです。特に『湖畔日記』には、太宰治の『富嶽百景』との影響関係を強く感じました。(もちろん、葛西の方が先行しています。際どい書き方をすれば太宰のほうに「剽窃」に近いものを感じます。)
 それは例えば、こんな描写であります。

 昼の選手達の飲めや唄への騒ぎの音が、死水のやうに静かにほの白く輝いてゐる湖面をわたつて来る。自分も声を張りあげて唄ひたいと思つたが、それが出なかつた。
 夜静カニ水寒ウシテ魚喰ハズ、満船空シク月明ヲ載セテ帰ル――自分は斯うした片言憶えの文句を口吟んだ。
 何の意味?……否! 好き山の乙女達よ、いつまでも清く美しくあれよ。そして自分の芸術?……自分は思はず溜息をついた。


 どうですか、この文を『富嶽百景』(確か私が高校生の時、国語の教科書に載っていました。教科書に載るような名作!)の中に挟み込んでも、全く遜色はないように思います。
 しかし次のこの部分は。……この部分は、こんな描き方は、きっと太宰はしません。

 私はまたも、斯んな戯文を書いて金に換へなければならぬと云ふことを、悲しく恥かしく思ふ。私はついこの前同じやうなものを発表したばかりである、貧乏してそちこち浮浪し歩いたと云ふ何の変哲も趣向もない所謂実生活の紙屑文学である。今度もそれの繰返し以外に何物もないのだと思ふと、書く張合もなし、読者へも申訳ない次第であるが、どうにも仕様のない場合なので、偏へに御寛恕を乞ひたいのである。(『仲間』)

 細かいことを言い出せば切りがないのですが、例えば太宰治は自らをよく「辻音楽師」に例えました。それは必要以上の謙遜というよりは、彼の「エンターテイナー」への強い志向の現れでありましょう。最低限自分が面白いと思えるものしか、太宰は発表しなかったように思います。
 そのぶん強烈な自意識があったのかも知れませんが、同じような文章を書いても、太宰にはいつも読者へのサービスがありました。私はそれが、太宰の「志の高さ」であったように思います。

 しかし善蔵には、そんな「未知なる読者への意識」が、見える時もあれば、見えない時も多くあるように思います。
 そしてそんな時に書かれた文章は、結局彼のまわりの文学身内のみを対象とした、仲間内だけで自足した文章であります。

 ただ私は今回本書を読んで、時にふと遠くを見ているかのように書かれた一文があり、そんな部分には非常な透明感を感じました。
 そしてそこに漂うユーモアと相まって、やはりこれは、筆者が持っていた才能の「格」の高さだという気がとてもしました。

 それではそれがなぜ、大成しなかったのか。
 それは彼のわずか42年間しかなかった人生ゆえとも言えるかも知れませんし(しかし太宰治は享年38であります)、……いえやはりそれは彼の才能の質、つまりは高い「格」の質ゆえであったのかも知れません。
 才能は、必ずしもその持ち主を幸福にするとは限りませんから。
 (いえ、才能がその持ち主を不幸にした例の方が、人類史上には遙かに多いように思います。例えば大物を一人。「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」)


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Last updated  2011.12.10 08:08:14
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