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カテゴリ:明治期・反自然鴎外
『舞姫・うたかたの記』森鴎外(岩波文庫) いままで三回にわたって、上記文庫本中の特に『舞姫』の読書報告を書いてきました。 読みようによっては、もう一つの『舞姫』の可能性が考えられるんじゃないかと、妄想に妄想をついで書いてきましたが(まー、よーするに「別の読み」というやつですね)、もとより小説とは、筆者が既にそのように書き終えたものであります。それに別の可能性をつけ加えてみたところで、「詮なき業」といえばその通りであります。 私は前回までで、『舞姫』の最後の一文(本当は二文)から、別の『舞姫』を考えてきましたが(まだ途中でありますが)、鴎外は、当たり前ながら『舞姫』本文の如く太田豊太郎やエリスを描写したわけです。 さて、私は今回岩波文庫で読みましたが、文庫の解説で、鴎外がこんな事を書いていることを初めて知りました。これは『舞姫』を収録した作品集『水沫集』の序文だそうです。 舞姫。小なる人物の小なる生涯の小なる旅路の一里塚なるべし。 この一文を読んで、どの様な感想をお持ちになりますでしょうか。 私ははっきり言って、「今更そんなこと言うかー」と思いましたね。ここで作者にそんなことをいわれてしまえば、今までの私の作品への感情移入は何だったんだ、という感じであります。 しかし、いや、まてよ。私はかつてこんな話も何かで読んだことがあります。 鴎外はこの『舞姫』を完成させた時、家族の者を一同に呼び集めて書きたてのこの小説を朗々と読み上げた、と。そして聞き入っていた一同は感涙にむせんだ、と。「ああ、お兄様は遠きベルリンの地で、いろいろご苦労なさったのね」と。 なんかこっちの方が、本当らしい気がしますよね。 つまり鴎外は、やはりかなり豊太郎に感情移入して本書を書き発表したものの、豊太郎の評判があまりに良くないものだから、後出しじゃんけんのようにして、わざと豊太郎を突っ放したようなあんな一文を書いた、と。 いかがでしょう。 ……ともあれ、本ブログの記事でありますが、前回の続きを、以下に書いていこうと思います。 前回の最後に私が書いていたことは、エリスの発狂は不自然じゃないかということでしたが、まずはガッテンしていただけましたでしょうか。 普通ならエリスは、相沢の言葉を信じないと言い切るか、せめて豊太郎が意識を取り戻すまで判断を中止するかしませんかね。 それが簡単に発狂までいっちゃったことについて、その原因を求めるならばこういう事ではないかと私は思います。 相沢の科白を即座に信じたエリスの心のどこかに、これはきっと真実だと訴えるものがあったということ。 つまり、「ああ、やはりそうだったのだ」と納得せざるを得ない豊太郎への不信感が、密かに彼女の心のどこかに巣くっていたということであります。(確かに、豊太郎がロシアに行く前に、ふとエリスが虫の知らせのように不安を感じる場面はありましたが。) ということは、少し強い表現で書くなら、エリスにとって豊太郎の裏切りは「想定内の出来事」であった、ということになりませんかね。 としますと、エリスの発狂って、やや不自然になりません? 「狂」を呼び込む原因としては、弱すぎはしませんか。 しかしそんなことを言っても、それが原因で発狂してしまったんだから仕方がないではないかとお考えの貴兄。いえ、別に仕方なくありません。それはこう考えることです。 「エリスの狂は、佯狂である。」 佯狂、つまり狂言の発狂ですね。 でも、そんなことをして、いったい何の意味があるのか。 なぁに、妄想次第では決して意味のないものではありません。 ちょっと視点を変えて、もしエリスの発狂が狂言だとすれば、一体それは誰が考えついたのかと言うことを考えてみますね。可能性は二つ。 (A)母親とエリスの陰謀説 (B)相沢の陰謀説 (A)説は、ちょっとないですかね。これで押してしまうには、少しリアリティに欠けそうです。しかし(B)説なら、結構真実に迫れそうな気がします。つまりこんな場面であります。 本文には、豊太郎は意識を取り戻すまで数週間掛かったとあります。この結構長い空白(この空白がまたヘンに長すぎませんか?)、これを受けまして、相沢が豊太郎の真実を総て語ったところから始めてみます。 (1)エリスはひどいショックを受け、悲しみと怒りに動転している状況ではあったが、発狂するには及ばなかった。 (2)一方、その場を去った相沢は考える。これはまずいことになった。エリスの家族が激怒して、やんごとなきところにお恐れながらと訴えれば、国辱的なことが起こるやも知れぬ。また意識を取り戻した豊太郎が、再び「エリスが愛」などに引きずられて、天方伯爵との約束を破ってしまうことがあったりすれば、伯に対する私の面目も丸つぶれだ。 (3)うーん、困った、…………あっ、ひらめいた。 ……とまー、こんなあたりで、相沢陰謀説。 どうです、もはや愛もなく不信感のみが広がる二人の間隙に、エリスの元にはお金が残り、豊太郎の元には自由が残り、見事双方全く丸く収まったではありませんか。 まー、ちょっとは豊太郎の心にトラウマも残ったでしょうが、それくらいはおのれの身から出た錆だ、と。 さて、後半ばたばたと急いで書いてきましたが、実は更に、私の妄想はこの先にもまだ拡がっているんですがー。 もう少し書いていいですかね。だってこのままでは、本来の疑問、豊太郎は具体的に相沢の何を「されど我脳裡に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり」と言ったのか、にまだ辿りついていません。 なに、すぐに終わります。私が考えたのはこういう事です。 総ては相沢の仕組んだものだとして、相沢と豊太郎が天方伯爵について日本へ帰る途上、船中で上等なワインか何かを飲んで気持ちの良くなった相沢が、もしこのエリス発狂(佯狂)の顛末総てを豊太郎に喋ってしまったとしたら……豊太郎はどうする? どうするも何も、今となっては相沢の行為を受け入れるほかはありません。 そしてそして(ここが私の眼目なんですが)、その上で豊太郎は、その部分を完全に隠蔽して「セイゴン」の港でこの『舞姫』の手記を書きあげる、というわけであります。 どうです、これで初めて、相沢に対する豊太郎の具体的な憎しみの原因が(つまり確かに相沢も少しやり過ぎじゃないかという思いが、ですね)、すとんと腑に落ちるではありませんか。 ……うーん、妄想。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.12.31 09:26:55
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