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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2012.01.21
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  『青梅雨』永井龍男(新潮文庫)

 短編集です。11の短編小説が入っています。全体で260ページほどの文庫本ですから、平均すると一作は20ページと少しになります。短編小説として、このくらいの長さというものは、どんなものなんでしょうね。

 知人に、これまた小説好きの女性がいらっしゃいます。小学校に入った時、学校の図書室に行って、そこにある本をぐるりと見わたしてその量に驚き、私は小学校を卒業するまでにこの本全部は読み切れないだろうと考えとても悲しくなったと、私に話をしてくださいました。

 ……なんか、ちょっと変わってますね。
 そう言えば、彼女は小学校の親子面談の時、担任の先生が「○○子ちゃんは本ばかり読んでいます。もう少しほかの子と一緒に遊ぶように」と母親に言ったそうです。
 大きなお世話の担任もいるものですね。
 作家の村上春樹なんか、十代の頃、僕よりたくさん本を読んでいた人に会ったことがないと書いています。○○子ちゃんも、担任の惚けたアドバイスなんか聞かずにもっともっと本を読み続けたら、今頃世界的な作家になっていたかも知れませんのにね。

 ともあれ、それくらいの本好きな方です。
 ところが、彼女が読む小説の傾向は、私とはまるで違っています。
 単純な言い方をしますと、彼女のよく読む小説はもっぱら「直木賞系」であり、私の読むのは、まー、こんなブログを書いていることからも分かりますように、どちらかと言えば「芥川賞系」であります。

 彼女が言うには、愉しんで読む小説なのに、実生活のように重い話はイヤだ、ということだそうです。
 なるほど、言われてみればその通りなのかも知れませんが、私のように、ずっしりと重い小説を読んだ後の充実感というか、やはり感動でしょうか、なにかそわそわとする感覚、その辺に読書の醍醐味を感じる者にとっては、「軽い」話はやはり少し物足りないような気がします。

 「芥川賞」と上述しましたが、芥川龍之介は言わずと知れた短編小説の名手であります。実は私は本短編集を読みながら、芥川がおのれの書いた短編小説におよそ考え得るあらゆる文学的技巧を駆使したことについて、少し考えていました。
 それともう一つ考えていたことがありますが、それは、志賀直哉などを筆頭にする「私小説」=「心境小説」についてであります。

 いえ、所詮アバウトな出来の頭しか持ってない私でありますから、もとより難しいことは考えられないのですが、一言で言えば、芥川の技巧も、志賀直哉の身辺雑話のような小説も、なるほど、短編小説を書き続けるための必要に迫られたものだったのだな、ということであります。

 冒頭の文脈に戻るのですが、一編20ページほどの作品を十作以上読みますと、申し訳ないながらはっきり言って、少し飽きてくるんですね。
 同じ短編小説と言っても、やはり20ページでは短すぎやしないかと思うわけです。
 で、同じくらいの長さの短編小説を量産していた芥川は、目先を変えたあらゆる技巧に走り、志賀は「嘘は書けない」なんて言って、現実の重みに価値の根源をゆだねた小説を書き続けた、と。

 今回の読書報告作品の筆者・永井龍男という方について、実は私は何も知りません。著書を読んだのもこれが初めてであります。
 読み始めてすぐに、なかなか「手練れ」な文章に気が付きます。感覚的なところで言えば、久保田万太郎とか岡本かの子とかの短編小説みたいな感じであります。「江戸前の切れ」が感じられます。もちろん、読んでいて感心します。
 
 さらに幾作か読んでいくと、お話の作りとして、微妙にこれまた短編小説の名人・内田百けんの恐怖テイストのようなお話があったりします。これもやはりなかなか「手練れ」であります。

 しかしそんな久保田万太郎と内田百けんの真ん中のラインをすーと通り過ぎていくような小説、それなりに面白くはある小説を何作か読んでいると突然、はて、短編小説とは一体何なのだろうと考えてしまうんですね。

 何で読んだのか失念してしまったのですが、少し前に、現代俳句は文学的命脈をすでに失いつつあるという一文を読みました。あるいは、ひょっとすれば、短編小説もそうなりつつあるのではないでしょうか。

 いえ、それは言い過ぎかなと言う気もします。
 ただ、現代社会の加速度的に肥大化していく重層的状況は、もはや短編小説では切り取りきれない(ましてや20ページくらいでは)、という気もします。

 もちろん、これは単純に好みの話であり、楽しく読み終わる短編小説は、もちろんそれだけですぐれた価値を持っているとは、私も思うのですが。……。


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Last updated  2012.01.21 13:34:58
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