【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

Recent Posts

Freepage List

Category

Profile

analog純文

analog純文

全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半男性 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年男性 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期作家
2012.01.25
XML
カテゴリ:昭和期・新戯作派

  『人間失格・グッド・バイ』太宰治(岩波文庫)

 先日何気なくテレビを見ていましたら、本年度の芥川賞の話をしていて、コメンテーターの方が、日本文学は世界的にもレベルが高いという話をなさっていました。

 それを見ていて、以前の私なら、そんなはずはないだろう、と即座に否定していたと思うのですが(だって明治以降の近代文学の思潮は、ほとんどすべてがヨーロッパの真似ッコじゃないですか)、確かに現在は、村上春樹など明らかに世界文学的レベルの方がいらっしゃいますし(しかし村上氏の次には、一体誰を挙げて指が折れるでしょうか)、少し前に水村美苗氏の本を読んでいたら、確かに日本文学史は、世界史の中で一定誇ることのできるものだと書かれてあって、まー、いわゆる目から鱗の落ちる思いがしました。

 でもねー、そうは理解しても、実はわたくし、まだマユツバなんですよねー、少し。
 というのも、少し前からわたくし、若かった頃に読んだ小説を再読することに、ある逡巡の思いがあるんですね。

 それは、漱石の『それから』を何時だったか、読み返した時に思いました。
 若かった頃私は、主人公の代助にとても共感していたと記憶するんですが、その時読んだ代助は、なんだか鼻白むばかりの興ざめさでありました。
 なんと甘ったれた人物であろうか、と。

 もちろん、漱石はそんなことは承知の上で代助を造形したのでありましょうし、それ以外の部分には、相変わらず読んで感心する個所がたくさんあったのですが、それでも主人公に感情移入がしにくくなると(特に以前は大いに共感した人物に)、なんだか一気に作品に対する思いが醒めてしまうような気になりました。

 名作とは、幾つになって読んでもその年齢なりの感動があるものだ、とはよく言われることですが、近代日本文学を代表する漱石レベルでさえそうだとすると、ひょっとしたら、日本文学は全体としてレベルが低いのではないだろうか、と。

 と、まー、そんな感じでありまして、だから日本文学のレベルについて、私は十分自信を持てないのであります。(いえ、これはちょっと乱暴な、いろんな条件をわざと見落とした理屈ですよね。なにより、己の文章読解力のレベルのことを棚に上げているではありませんか。)

 ともあれ、そんなことがあって、若い頃読んだ(それなりに感動した)小説を、人生の折り返し点をとっくに折れて曲がった現在、読み返すことに、わたくし、戸惑っているのでありますが、今回冒頭の、若い頃読んで多いに感動した小説を読んでしまいました。

 と、書きましたが、改めて考えてみますに、若い頃の私は本当に本書に感動したのでありましょうか。
 と、人ごとみたいに書きましたが、よくよく思い出しますと、確かに『道化の華』には感心感動した記憶がありながら、『人間失格』はあまり憶えていないんですね。

 今『道化の華』を挙げましたが、それは言わずと知れた、『人間失格』と主人公の名前が同じ小説ですね。共に、「大庭葉蔵」であります。
 しかしアバウトな感想ですが、『人間失格』は『道化の華』に比べるとかなり荒っぽい小説のように感じました。

 例えば、たくさんの女性が出てきますが(みーんな主人公の葉蔵と関係を持つ女性ですね)、ほとんどその目鼻が見えないように思います。むしろ男の方が(印象的な男は二人ほど「堀木」と「ヒラメ」しか出てこないのですが)まだ書き込まれているように感じます。

 父親についても、終盤、唐突に取り上げられますが(それもかなり重い説明、父が死んで張り合いが抜けたとか、バァのマダムが「あのひとのお父さんが悪いのですよ。」と言ったりするなどのかなり重い説明ですが)、しかしそこに至るまでに父親との確執はあまり出てきません。

 ただ、ふと漏らしたような小さな表現に、私は思いがけない肌ざわりのようなリアリティを感じました。そしてそんな個所は、よく見るとちらちらと結構全体に散在しています。例えばこんな個所です。

 そうして、世間というものは、個人ではないだろうかと思いはじめてから、自分は、いままでより多少、自分の意志で動くことが出来るようになりました。シヅ子の言葉を借りて言えば、自分は少しわがままになり、おどおどしなくなりました。また、堀木の言葉を借りて言えば、へんにケチになりました。またシゲ子の言葉を借りて言えば、あまりシゲ子を可愛がらなくなりました。

 なるほど思い出してみれば、こんな素手で愛撫されるような表現こそが太宰治の一番の魅力であったと、本作が世界文学的レベルの「名作」であるかどうかはおいて、やはり若い頃、一種胸が苦しくなるような恥ずかしくも乙女のような感情で太宰の作品に対していた時期が確かにあったと、私はこっそりと思い出したのでありました。


 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓

 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.01.25 06:20:22
コメント(0) | コメントを書く
[昭和期・新戯作派] カテゴリの最新記事


PR

Favorite Blog

徘徊日記 2024年10… シマクマ君さん

やっぱり読書 おい… ばあチャルさん

Comments

analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
今猿人@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03) この件は、私よく覚えておりますよ。何故…

© Rakuten Group, Inc.