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2012.07.22
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  『護持院原の敵討』森鴎外(岩波文庫)

 本短編集には三つのお話が入っています。これです。

  『護持院原の敵討』(大正二年)
  『安井夫人』(大正三年)
  『生田川』(明治四十三年)


 最後の『生田川』は戯曲ですが、二十ページほどの極めて短い作品です。『大和物語』の「津の国の乙女」説話の話で、確か、室生犀星も短編小説にしていたと思います。
 なかなかファンタジックなお話ではありますが、この短編集の眼目は、やはり総タイトルにもなっている『護持院原…』でありましょう。

 実はこの短編小説は、鴎外の短編の中では珍しい「変な」小説であります。
 いえ、「変な」小説だと、私は思うわけですが。

 例えば鴎外の文学的全業績をまとめる言葉として、「諦念」というものがあります。
 (考えてみれば、こんな小さな言葉でまとめてしまうのは、とても「不遜」というか、「無意味」というか、ちょっと困ったことなんですがー。)

 「諦念」の詳しい中身はちょっと置いておくとして、とにかく、作品にあまり混乱が見られないのが、鴎外作品の大きな特徴であります。作品内世界を筆者がきっちりとコントロールしきっているという感じであります。
 (そんなの当たり前だと思われるかも知れませんが、近代日本文学小説界の鴎外と並ぶ二大巨頭のもう一方、漱石の作品は、大いに混乱しまくっており、しかしそれが「漱石的破綻」なんて呼ばれて、漱石作品の魅力の一端になっているという、うーん、どちらが優れているのやら、なかなか難しいところでありますなー。)

 ところが、本作『護寺院原…』には、珍しく、落ち着きのない「変な」人物が出てくるんですね。
 本作を読めば、必ずや最後まで気にならずにはいられない人物であります。
 さらに、この人物の書きぶりが鴎外らしくありません。こんな感じです。

 宇平は矢張黙つて、叔父の顔をぢつと見てゐたが、暫くして云つた。「をぢさん。わたし共は随分歩くには歩きました。併し歩いたつてこれは見附からないのが當前かも知れません。ぢつとして網を張つてゐたつて、来て掛かりつこはありませんが、歩いてゐたつて、打つ附からないかも知れません。それを先へ先へと考へて見ますと、どうも妙です。わたしは変な心持がしてなりません。」宇平は又膝を進めた。「をぢさん。あなたはどうしてそんな平気な様子をしてゐられるのです。」
 宇平の此詞を、叔父は非常な注意の集中を以て聞いてゐた。「さうか。さう思ふのか。よく聴くけよ。それは武運が拙くて、神にも仏にも見放されたら、お前の云ふ通だらう。人間はさうしたものではない。腰が起てば歩いて捜す。病気になれば寝てゐて待つ。神仏の加護があれば敵にはいつか逢はれる。歩いて行き合ふかも知れぬが、寝てゐる所へ来るかも知れぬ。」
 宇平の口角には微かな、嘲るやうな微笑が閃いた。「をぢさん。あなたは神や仏が本當に助けてくれるものだと思つてゐますか。」
 九郎右衛門は物に動ぜぬ男なのに、これを聞いた時には一種の気味悪さを感じた。


 簡単に説明をしておきますと、「宇平」という若者の父が殺されたわけですね。そして叔父(殺された宇平の父親の弟)と共に敵討ちの旅に出るのですが、まー、現代人の我々では、そんなものどうしたら敵が見つかるのだろうと思うと同様に、なかなか見つからないまま長旅にも疲れ、宇平は精神に変調を兆す、という展開であります。

 引用部分に「妙」「変な」「一種気味の悪さ」などの、得体の知れないものに対する表現が出てきます。鴎外作品には珍しいと私は思うのですが、そんなことないでしょうか。
 そしてこの後、宇平は、私は勝手にさせて貰うと言って部屋を出ていき、そのまま作品内から姿を消してしまいます。
 この展開もまた、まるで鴎外らしくないと、私は思うのですがいかがでしょう。

 この「宇平」の存在をどう考えるのかというのは、本作をちょっと一生懸命読んだ人は必ず考えることであります。この後、宇平を除いた遺児達は見事敵を討つのですから、まず考えられるのは「近代的知性の限界」とでも言えそうな気がしますが、それにしては、筆者自身が少し気味悪がっていませんかね。
 といって、仮にも、海千山千の鴎外ですから、作品の破綻、ってことはありますまい。(まー、一応。)

 ……うーん、とわたくしも、考えたのですがね、よくわかりません。
 あれこれ考えて、ひょっとしてと思った、それこそ「思いつき」程度のことを最後に書いてみます。

 まず、この「宇平」の存在が変だと言うことは、誰もが気づくことです。
 ということは、鴎外も、きっと誰もがそう思うだろうということを分かっていながら、そのまま放っておいたということですね。なぜなんでしょ? ここがポイントですよね。

 思いつきなんですがね、本当に思いつきに過ぎないんですがね、筆者がそこまで思って放っておいた人物なら、本当に放っておいて構わないんじゃないか、と。
 そう思って宇平を放っておいて本作を読めば、本作の持つ雰囲気は、俄然この後の鴎外の「史伝」に近い感じがしてくるような気がするんですが、どうでしょうか。

 「史伝」に近いとはどんな感じなのかといわれると、少し困るのですが、簡単にいえば「愛想がない」ということであります。
 この愛想のなさは、本短編集収録のもう一つの作品、『護寺院原…』の翌年に書かれた『安井夫人』よりもさらに愛想がないように思います。

 行きつ戻りつしながら、ひょっとして、「予行演習」?
 もちろん、愛想がないことと、面白くないこととは、全く別次元のものでありますが。


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Last updated  2012.07.22 16:23:03
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