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2013.03.17
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  『河内屋・黒蜥蜴』広津柳浪(岩波文庫)

 本文庫には三つの短編小説が収録されています。この三作です。

  『河内屋』(明治二十九年九月)
  『黒蜥蜴』(明治二十八年五月)
  『骨ぬすみ』(明治三十二年一月)


 どの作品のタイトルも、とてもシンプルですね。こんなのが時代の流行だったんでしょうか。ちょっと同年代の他の小説作品をいくつか挙げてみます。

 『舞姫』森鴎外(23)、『五重塔』幸田露伴(24)、
 『滝口入道』高山樗牛(27)、『たけくらべ』樋口一葉(28)、
 『外科室』泉鏡花(28)、『不如帰』徳富蘆花(31)


 ……んー、やはりこんな題名の付け方が流行だったのかも知れませんね。どれもとってもシンプルです。(合わせて、みんなちょっと不気味な感じがしますね、なぜでしょうか。)

 さて次に、今回この短編集を読んで、私はもちろんいろんな事を思ったのですが、その一つとして、言文一致文体のとてもこなれていることに感心しました。(細かく見れば、この三作の間にも少し文体の相違があって、やはり年代順に徐々に変化していき、よりこなれた口語文体に移行してることが分かります。)
 例えば、こんな感じです。

 お染は食を廃して、自ら死を求めて居る。お染が死んだ時は、自分も此世を捨てる時である。自分のために死ぬ人を、決して一人は殺さぬ。お染も死ぬのである。自分も死ぬのである。死ぬ前に唯一度――今一度染々と逢つて、染々と話を為て、自分の為に死んで呉れる礼が云ひたい。礼が云ひたい。一度逢ひたい。(略) (『河内屋』)

 抽象的な内容の描写ですが、見事にこなれた表現になっています。
 ところが日本文学史の教科書を読んでみますと、明治時代の言文一致運動の先駆者として挙がっているのは、下記の人々と作品です。

  二葉亭四迷『浮雲』(20)『あひびき』(21)
  山田美妙『武蔵野』(20)『蝴蝶』(22)
  尾崎紅葉『多情多恨』(29)


 しかし最初に挙がっている『浮雲』『武蔵野』からわずか9年、それでここまで文章がこなれるんですねー。
 というよりも、言文一致運動の先駆者として名前の挙がっていない広津柳浪の文体ですらこれだけ言文一致になっているということから、逆に言文一致という運動が、いかに時代に必要とされていたのかが分かるようであります。

 もっとも、これも岩波文庫に入っている三遊亭円朝の諸作品を読めば、これくらいの言文一致は当たり前だとも思えます。刊行が約十年先行する三遊亭円朝の作品は、まるで武者小路実篤の小説のように、「天衣無縫」に言文一致していますよ。

 一方、広津柳浪という作家は、日本文学史の中ではどの様な「文学思潮」に位置づけられているかと見ますと、「深刻小説」「悲惨小説」という言葉が出てきます。
 出てきますが、なんか、これよく分からないですね。あまり聞いたことないですね、そんなことないですか?

 同じ流派の人に他にどんな作家がいるかと調べてみますと、樋口一葉が挙がっているではありませんか。あの五千円札の、例の、一葉女史であります。
 そんな「有名人」を擁しながら、なぜ「深刻小説」とか「悲惨小説」という文芸用語が今ひとつ人口に膾炙しなかったかと考えますに、思うにこれは、ネーミングのセンスの悪さのせいですね、きっと。

 「深刻」とか「観念」とか、もー、はっきりいって、そのまんまじゃないですか。固有の、オリジナルな文芸思潮を表すものとしては、メリハリと言いますか象徴性と言いますか、なんかあまりに工夫がなさ過ぎるんですよねー。

 ……というわけで、流派のネーミングに恵まれなかった筆者でありました。
 というか結局の所、描いていたものに、「キック」が今ひとつ足りなかったように思うんですがねー。

 例えば、作品世界における社会に対する告発性をもう少し高めていたなら、きっと「社会小説」に成りえただろうし(木下尚江の『火の柱』なんてのはそんな作品です)、社会正義に目覚めるのがイヤだったら、「自然主義」のように、あるがままに書くのだ、善悪正義を問わない「無思想無解決」の姿勢なのだ、と尻をまくる手もありました。

 というふうに、広津柳浪作品の歴史的限界を、私、わがまま勝手に述べてきました。
 ではこの筆者の評価すべき部分はどこなのだと考えますと、パンドラの箱の中に残っていた「希望」のように、作品の中に底光りしてあるものは、ぐるりと一周回って、やはり文体力であると思います。

 上記に「言文一致運動の先駆者として名前の挙がっていない広津柳浪の文体ですらこれだけ言文一致になっている」と書きましたが、やはりこれは筆者特有の文体力でありまして、どの作家もがこれほど書けるものではありません。

 かつて、内田魯庵の小説を読んだ時に、その幸田露伴に見まがうような優れた文章に驚きましたが、今回は、尾崎紅葉ばりの広津柳浪の文章に、改めて私は、明治文学の懐の深さをつくづく感じるのでありました。


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Last updated  2013.03.17 10:57:31
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