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analog純文

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2013.08.11
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  『堕落』高橋和巳(新潮文庫)

 上記の小説の読書報告の後半です。
 前半は何を書いていたかと申しますと、ふと、高校時代の自分自身の読書傾向について思い出していたんですね。
 これは以前にも書きましたが、高校時代の私はかなり庄司薫に入れ込んでいました。
 今思えば、「薫くんシリーズ」によって、私は「近代日本文学の森」の入口まで連れてきて貰ったわけです。
 これは感謝せざるをえませんね。

 しっかり読めば「薫くんシリーズ」も、そんなに「軟弱」なことばかりが書かれていたわけではありませんが、とにかく「あたり」が柔らかかったおかげで、まー、結構やさしく読めたわけですね。

 ところが、「近代日本文学の森」にはそんな小説ばかりではないわけです、あたりまえながら。
 思い出してみると、あの頃の私は、結構たくさんの小説にぶつかっては玉砕していましたねー。

 例えば、三島由紀夫の『暁の寺』なんて作品が今ふっと浮かびます。
 私、あの『豊饒の海』4冊中、『春の雪』と『天人五衰』は2回読んだ覚えがあるのですが、『暁の寺』は、何といいますかねー、……イメージ的には、泣きながら文字だけ追っかけて、最後に「あほー、おまえのかあちゃんでべそー」と言って泣きじゃくりながら逃げていく少年の如くでありました。(なんかよくわかんないな。)

 ともかくそのころ、ちょっとうかつに手を出してはいけないと感じさせる作家の一人が高橋和巳でありまして、そしてその思いは現在まで連綿と続いています。
 そんな中、本書を読んだわけです。

 150ページほどの中編小説であります。
 面白かったですねー。とても感度的でありました。

 いえ、中盤くらいまでは、何か瑕疵があるわけではないですが、暗い。とにかくとことん暗いんですね。それは、かつての私が「ちょっとうかつに手を出してはいけない」と感じたその直感そのままであります。

 戦前満州国を理想郷として建設しようとしていた青年が、しかし現実の中国大陸においては、日本軍と人民が大陸人に対して残酷非道なことを続けるのに結果的に加担する側にあり、一転敗戦になると、今度は中国軍と人民によって強烈にひどい仕打ちを受け、本当に命からがら日本に帰り着くというそんな徹底的な挫折経験から、極度のニヒリズム・人間不信になります。

 ただこの小説の面白いのは、そんな極端なニヒリズムに陥っても、力のある人物はその後も一定の仕事を社会の中で残すという設定であり、しかし同時にそんな人間不信が、やはり主人公の精神を少しずつ蝕んでいくという展開であります。
 まず、この構造が見事です。

 読んでいて、時に辛いほどのニヒリズムを感じる個所もあり、そんなところでふっと田宮虎彦の例えば『絵本』などという小説を連想したりしたのですが(田宮虎彦のある小説群には、少々厳しく言えば、人間観察について偏りが感じられるようなニヒリズムがあります)、前半の中国大陸での体験が微妙に形を変えながら繰り返し挿入されるので、かなりニヒリズムに感情移入ができます。

 そして、『堕落』というタイトルのままに、じりじりと一般社会から弾かれていく(自らの意志でそれを目指していく)主人公が最後に望むのは、自らの人生を翻弄した国家への恐怖を心の中に激しく抱きながらも、それと最後の対決をすることであります。

 司馬遼太郎がかつて書いていましたが、近代国家は当たり前のように国民の命を翻弄し、供出させる権力を持ちます。
 例えば、生まれればたまたま日本人であり(「日本」を「中国」「アメリカ」「イラク」「韓国」「北朝鮮」などどの国に入れ替えてもそれは同じく)、そしてそのことによって国家から死ぬことを強要されるという事態は、過去にずっとあったし、これからもそう簡単になくなるとは思えません。

 自分の人生と国家を考える時、この国家の権力を「やむなし」とは考えず、人生の上の最後の対決の場をそこに選び取った主人公を描いた本作が、強く人を撃たないわけがありません。


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Last updated  2013.08.11 20:49:58
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