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2013.12.31
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  『空気頭・欣求浄土』藤枝静男(講談社文庫)

 以前に一度、藤枝静男の小説は読書報告しました。
 その時の私の感想の中心は『田紳有楽』という、これまた突拍子のない作品でしたが、『空気頭』についても少し触れていました。
 ただそれは、一言で言えば、現代の私小説作家は攻撃的な内容になる必然があるんじゃないかという感想だったと思います。
 それは今でも間違っているとは思わないんですが、ただ、『空気頭』という作品は、そんな簡単な構造のものではないと、今回再読して特に思いました。
 例えば冒頭にこんな事が書いてあります。

 私はこれから私の「私小説」を書いてみたいと思う。
 私は、ひとり考えで、私小説にはふたとおりあると思っている。そのひとつは、瀧井氏が云われたとおり、自分の考えや生活を一分一厘も歪めることなく写して行って、それを手掛かりとして、自分にもよく解らなかった自己を他と識別するというやり方で、つまり本来から云えば完全な独言で、他人の同感を期待せぬものである。もうひとつの私小説というのは、材料としては自分の生活を用いるが、それに一応の決着をつけ、気持ちのうえでも区切りをつけたうえで、わかりいいように嘘を加えて組みたてて「こういう気持ちでもいいと思うが、どうだろうか」と人に同感を求めるために書くやり方である。つまり解決ずみだから、他人のことを書いているようなものである。訴えとか告白とか云えば多少聞こえはいいが、もともとの気持ちから云えば弁解のようなもので、本心は女々しいものである。
 私自身は、今までこの後者の方を書いてきた。しかし無論ほんとうは前のようなものを書きたい欲望のほうが強いから、これからそれを試みてみたいと思うのである。


 (これは、閑話みたいなものですが、上記の文に示されている「私小説」の説明はとっても興味深いですね。「自分にもよく解らなかった自己を他と識別する」なんて表現には、もちろんわざと書いているんでしょうが、思わずにやりとしてしまいます。)

 引用最後の段落に、これから「自分の考えや生活を一分一厘も歪めることなく写」すほうの「私小説」を試みると書いてありますね。
 ところが、なるほどそうなんだなと思って読み進めていきますと、この先拡がっていく話は、一言でいいますと、とても信じられないような「強精剤」の話であります。

 実は上記引用文のすぐ後に、これから書く「文体」について触れた部分があるのですが、そこには「酔っぱらいのクダみたいな文章の方が自分に適しているような気がしている。」と書いてあります。しかしそれがどんな文体かといえば、例えばこんな感じなんですね。

 十数年前、私は妻や子供たちの可愛がっていた飼犬を殺した。人間から見て殺さねばならぬ理由はあったが、犬にはなかった。子供にそのことを告げると泣いた。
 勿論誰にもやらせるわけには行かなかったので、自分の手で始末することにして硝酸ストリキニーネを牛乳にまぜて与えると、喜んでさも甘そうに飲みつくした。凝っと見ていると、二分ばかりたったころピクリとしたような身体の表情があらわれ、同時に、不審そうな、うるんだ眼つきをして私を見た。そして家に入ってその場を避けた私の耳に、ガタガタと懸命に小屋を引っぱる音と、鎖のすれる音と、低い唸り声とが聞こえてきた。二時間ばかりして行った時、鎖につながれたまま四肢をのばして扁平に硬直した彼の死体が、小屋の後ろのせまい間隙に転がっていた。


 犬の死体を描写した最後の一文などは、懐にドスを呑んだような、ぞっとするクールな明晰な文体ではありませんか。
 実は筆者は、お医者さんなんですね。眼科医でいらっしゃったようです。

 この『空気頭』というタイトルも、眼球に管を突き刺して眼窩の奥にどんどん差し込んでいき、脳底にまで到達させてそこから頭の中に「空気」を送り込むという治療(というのか何というのか、まぁ、わけわかりませんがー)から来ているんですね。(ついでに書いておきますと、主人公はその治療を、眼球部に局部麻酔を掛けて自分で行うという、これもまた、なんといーますか、そーとーなものであります。)

 ともあれ、私の挙げた二つのエピソードからこの作品について解ることは、この作品は徹頭徹尾「嘘」ばかり書いているということではないかと思うのですが、どうでしょう。
 「嘘」ばかり書くというのは、勿論小説にとっては最大の褒め言葉であります。
 嘘を通して真実にたどり着くというのが小説の本来の理想型でありましょうから、小説内ではどんな角度から「嘘」をついても、それは全然問題ではありません。大切なのは、いかに読者をその嘘の中に引きずり込んでいくかということであり、その意味では、本作は、構造を十重二十重に作り上げた、極めてしたたかな作品となっています。

 もう一作の『欣求浄土』という連作小説も、極めて本道的「私小説」的な書き出しから話は始まり、終末近くになって初めて、そのスリリングで複雑な構造が姿を現すという仕掛けになっております。
 こんな一筋縄でいかない作品を書く作家は、近代日本文学には実はそんなにたくさんいらっしゃるわけではなく、既に亡くなっていらっしゃいますが、とても貴重な小説家であられたと、わたくしは思うのでありました。


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Last updated  2013.12.31 12:17:36
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