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カテゴリ:明治~・詩歌俳人
『詩を読む人のために』三好達治(岩波文庫) ……えーっ、つくづく考えてみますと、わたくしが、タイトルにあるような「詩を読む人」でいたのは、恥ずかしながら、思い出してみますれば、大学時代のわずか4年間だけだったような気がします。 ……うーん、そうだったんですねー。 たった4年間しか詩を読んでいないくせにわたくしは、ずっと文学なんて考えているつもりでいたんですねー。いかんなー、これはー。 そして、現代において詩はもはや死んだんじゃないか、みたいなことをしゃあしゃあと言っていたわけですねー。ますますいかんなー、これはー。 ただ、少しだけ言い訳をいたしますれば、人の一生の中で、二十歳前後のこの期間というのは、それは私が指摘するまでもなく、一生涯中最も濃厚な時期であることは間違いないことで、ほとんどその時期のみとは言いながら、私が結構集中して、詩とか、世界文学とかに触れていたその遺産は、今に至りましてもわが心中に、ささやかながら残っているような気もします。 そのころわたくしは、詩も少しは読んでいまして(ついでに言っちゃうと自分でもへたくそな詩を少し書いていたんですね)、そして詩論みたいな本も少し読んでいました。 今記憶に残っているそんな詩関係の本は、タイトルは忘れてしまったのですが、詩人の山本太郎の本が一番印象に残っています。 私の少ない詩に対する知識や読み方のノウハウは、この本から学んだように思います。 そして、あっという間に月日は流れ、私はこの度ン十年ぶりに、詩を鑑賞する本を読みました。 読んでみますれば、うーん、とっても面白いんですね、これが。 筆者が様々な詩を紹介し、それに鑑賞のポイントを書いてくれるんですが、まず紹介される詩が、やはりなんといいますか、感動的なんですね。 上記に書きました「詩は死んだ」はもちろんでたらめな言い回しとしましても、総体として詩を考えていると、やはりどうも腑に落ちないような部分が澱のように心に残りますが、こうして一作一作を読んでいきますと、今度は明らかに芸術的な感動が心の中に残っていくのが分かります。(わが友人の、詩人のI氏が、詩の議論を嫌っていたのはこういうことだったんですねぇ。Iさん、ようやくわかりました。) ひとつだけ、そんな一連の表現を引用してみます。津村信夫の詩の紹介部分からです。 戸隠びと 善光寺の町で 鮭を一疋さげた老人に行き逢つた 枯れた薄を着物につけて それは山から降りてきた人 薪を背負つてきた男 「春になつたらお出かけなして」 月の寒い晩 薪を売つて 鮭を買つた 老人は小指が一本足りなかつた 彼の行き慣れた戸隠山、その山人のポトレトである。その老人と行逢った、事実は単純至極だが、たった一刷毛にそれを叙したあと味に、単純ならぬ余情がある。いやその余情さえも単純至極であるかも知れぬ。なるほど情は単純だが、余韻は永い。こんなわずかな事実をでも、詩の真実は立派に支える。まあそのお手本のような、童画めいた一作である。 どうですかね。 津村信夫の詩も確かに余韻永いと同時に、筆者の解説もさらりと書きながら実にわかりやすく感動的であります。 一方、別の個所には、萩原朔太郎の詩を解説しながら、こんな風に書いてあります。 (略)サンボリズムは即ち最も内的な詩的実体を実体のままで直ちに再現しようとするものであろうから、それを他の計数に置きかえ数え直して説明しようとするのは、元来無理な話であって無意味に近い。 地面の底のくらやみに、 さみしい病人の顔があらはれ。 は、それだけで以てまったく完結しているのであるから、その外に一切空、何ものもない、ものとして読者はまるごとそれを嚥みこむより外に、読み方はない。 こんな解説は、わたくしもうすうすとは感じていながらはっきり指摘されると、改めて発見的であります。(友人のI氏が言おうとしていたのもこのことだったんでしょうね。) 詩について書かれた本とは、この両者のせめぎ合いのギリギリのところで書かれているのでしょう。 この度わたくしは、まったく久しぶりに詩についての本を読んだのですが、詩の解説の意味と無意味を今になって再確認し、なんか、肩の力がふっと抜けたようで(要は自分勝手に肩に力を入れていただけなんですがね)、これはまた目出度くも、今後の読書の楽しみのフィールドが明らかに増えまして、いやぁ、実に有意義な一冊でありました。 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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