【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

近代日本文学史メジャーのマイナー

近代日本文学史メジャーのマイナー

Calendar

Archives

Recent Posts

Freepage List

Category

Profile

analog純文

analog純文

全て | カテゴリ未分類 | 明治期・反自然漱石 | 大正期・白樺派 | 明治期・写実主義 | 昭和期・歴史小説 | 平成期・平成期作家 | 昭和期・後半 | 昭和期・一次戦後派 | 昭和期・三十年代 | 昭和期・プロ文学 | 大正期・私小説 | 明治期・耽美主義 | 明治期・明治末期 | 昭和期・内向の世代 | 昭和期・昭和十年代 | 明治期・浪漫主義 | 昭和期・第三の新人 | 大正期・大正期全般 | 昭和期・新感覚派 | 昭和~平成・評論家 | 昭和期・新戯作派 | 昭和期・二次戦後派 | 昭和期・三十年女性 | 昭和期・後半女性 | 昭和期・中間小説 | 昭和期・新興芸術派 | 昭和期・新心理主義 | 明治期・自然主義 | 昭和期・転向文学 | 昭和期・他の芸術派 | 明治~昭和・詩歌俳人 | 明治期・反自然鴎外 | 明治~平成・劇作家 | 大正期・新現実主義 | 明治期・開化過渡期 | 令和期・令和期の作家
2016.08.15
XML
カテゴリ:昭和期・三十年代

  『みずから我が涙をぬぐいたまう日』大江健三郎(講談社文芸文庫)

 ……うーん、「みずから我が涙をぬぐいたまう」であります。そんなありがたい「日」であります。……しかし大概、思いっきり個性的なタイトルですなぁ。
 
 下記に触れていますが、本作の一つ前の短編集のタイトルが『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』となっています。……うーん、これは、これで……。
 しかしこんな風に並びますと、なんだか思ってしまいますね、大江健三郎はその意表性において、実はタイトルのつけ方がとっても上手なんじゃないかって。

 さて本書は、1972年(昭和47年)に総題になっている作品と「月の男(ムーン・マン)」と題された(「ムーン・マン」はルビでの表記)2つの中編小説で出版されました。
 この前後数年の間に大江健三郎が発表した小説はこんな感じになっています。

  1964年(昭和39年) 『個人的な体験』
  1967年(昭和42年) 『万延元年のフットボール』
  1969年(昭和44年) 『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』
  1972年(昭和47年) (本中編小説集)
  1973年(昭和48年) 『洪水は我が魂に及び』


 どうですか。「濃いー」ですよねー。
 特に前の二作と最後の一作は名作として聞こえ高く(『万延元年のフットボール』はノーベル賞受賞の際、氏の代表作の扱いをされました)、いわばこの時期は大江氏の「傑作の森」(小説家のロマン・ロランが名付けた、ベートーヴェンが極めて充実した作品群を立て続けに発表した時期のこと)にあたる期間だと思います。

 さらに詳しく見ていくと、本中編集とその前の短編集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』は、二つの大きな峰の間に挟まれた作品という見方もできて、なるほどそう考えると本中編小説集も、二作ありながら少なくとも文体が極端に異なっていることも含め(下記にあるように前者の文体が、全作品に及んで「難解な文体」といわれる筆者の作品の中でも際立って難解です)、次のテーマに向かう様々な実験の一つと考えることが可能なようです。

 さて上記に私は「難解な文体」と書きましたが、例えばこんな感じです。

 この真夜中の闖入者の出現が、かれのベッドの周囲に、かれにたいして能動的には影響をあたえられないまま、立ち合っている者たちのいうとおりに夢だとすれば、それはかれがアフリカのバンツー族さながら若くして肝臓をやられて、この「終の棲家」に入りこんで以来、はじめての、そしてかれの確固とした予想ではおそらく最後の、記憶にくっきり残った夢である。

 実は私は本書は再読で、高校時代の終盤から大学時代の前半にかけて少しまとめて大江健三郎の作品を読んだことがありました。
 その頃の私の読解力で大江作品が十分に理解できていたのか、今となってはかなり疑問なのですが(ただし今となって分かることの一つとして、若い頃というのは、無理して難しい本を読んでは分かったふりをするという心理があるということを、分かったふりに分かっておりますが)、少しは馬齢を重ねたもので、ちょっと振り返って考えてみました。
 
 つまりこのねじれたような文体は、本当にうまいのかということですね。
 ……んんんー、と考えてみたのですが、結論的なところを申しますと、このねじ曲がった文体は、それに見合うグロテスクさとユーモラスを核とする想像力の奔流を間違いなく裏付けているもので、そのストーリーを全面展開的に追いかけていくと、やはりパワフルとしか言いようがない、と。

 そしてこのパワフルさは、少し時代が前後しますが、例えば中上健次の作品、笙野頼子の作品なんかにもつながっていく力のある表現だと感じられる、と。
 つまり文体にそんな力があるということは、やはり優れているといいきれるはずだ、と。美しさとは、当然そういった概念をも含む価値基準であるはずだ、と。

 というわけで、大江健三郎の文体は、このように「異様」にねじれていても美しいのではないかという結論に至りました。
 現実的な話として、文体は単独に存在しているわけではなく、ストーリーの必然がそれを決定していくわけで(逆ももちろんありましょうが)、そのストーリーの源泉である大江氏の想像力は、他の作家を圧倒してこの時期の彼の小説作品を独創的にしていました。

 またこの時期の筆者は小説以外でも、「想像力」こそが人類の未来へつながる唯一の道具であるという趣旨の発言をよくしていまたように覚えています。

 なるほどこの度の読書で、大江氏の際立った才能である強烈な想像力を実感して、「普通の人はあなたほどはとてもとても」とは感じつつも、人類の未来への想像力の大切さを、大いに教えられたような気がしました。


 よろしければ、こちら別館でお休み下さい。↓

 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2016.08.15 08:52:12
コメント(0) | コメントを書く
[昭和期・三十年代] カテゴリの最新記事


PR

Favorite Blog

ジョン・カサベテス… New! シマクマ君さん

7月に観た映画 ばあチャルさん

Comments

aki@ Re:「正調・小川節」の魅力(01/13) この様な書込大変失礼致します。日本も当…
らいてう忌ヒフミヨ言葉太陽だ@ カオス去る日々の行いコスモスに △で〇(カオス)と□(コスモス)の繋がり…
analog純文@ Re[1]:父親という苦悩(06/04)  七詩さん、コメントありがとうございま…
七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
√6意味知ってると舌安泰@ Re:草枕と三角の世界から文学と数理の美 ≪…『草枕』と『三角の世界』…≫を、≪…「非…

© Rakuten Group, Inc.