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2016.08.15
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  『みずから我が涙をぬぐいたまう日』大江健三郎(講談社文芸文庫)

 ……うーん、「みずから我が涙をぬぐいたまう」であります。そんなありがたい「日」であります。……しかし大概、思いっきり個性的なタイトルですなぁ。
 
 下記に触れていますが、本作の一つ前の短編集のタイトルが『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』となっています。……うーん、これは、これで……。
 しかしこんな風に並びますと、なんだか思ってしまいますね、大江健三郎はその意表性において、実はタイトルのつけ方がとっても上手なんじゃないかって。

 さて本書は、1972年(昭和47年)に総題になっている作品と「月の男(ムーン・マン)」と題された(「ムーン・マン」はルビでの表記)2つの中編小説で出版されました。
 この前後数年の間に大江健三郎が発表した小説はこんな感じになっています。

  1964年(昭和39年) 『個人的な体験』
  1967年(昭和42年) 『万延元年のフットボール』
  1969年(昭和44年) 『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』
  1972年(昭和47年) (本中編小説集)
  1973年(昭和48年) 『洪水は我が魂に及び』


 どうですか。「濃いー」ですよねー。
 特に前の二作と最後の一作は名作として聞こえ高く(『万延元年のフットボール』はノーベル賞受賞の際、氏の代表作の扱いをされました)、いわばこの時期は大江氏の「傑作の森」(小説家のロマン・ロランが名付けた、ベートーヴェンが極めて充実した作品群を立て続けに発表した時期のこと)にあたる期間だと思います。

 さらに詳しく見ていくと、本中編集とその前の短編集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』は、二つの大きな峰の間に挟まれた作品という見方もできて、なるほどそう考えると本中編小説集も、二作ありながら少なくとも文体が極端に異なっていることも含め(下記にあるように前者の文体が、全作品に及んで「難解な文体」といわれる筆者の作品の中でも際立って難解です)、次のテーマに向かう様々な実験の一つと考えることが可能なようです。

 さて上記に私は「難解な文体」と書きましたが、例えばこんな感じです。

 この真夜中の闖入者の出現が、かれのベッドの周囲に、かれにたいして能動的には影響をあたえられないまま、立ち合っている者たちのいうとおりに夢だとすれば、それはかれがアフリカのバンツー族さながら若くして肝臓をやられて、この「終の棲家」に入りこんで以来、はじめての、そしてかれの確固とした予想ではおそらく最後の、記憶にくっきり残った夢である。

 実は私は本書は再読で、高校時代の終盤から大学時代の前半にかけて少しまとめて大江健三郎の作品を読んだことがありました。
 その頃の私の読解力で大江作品が十分に理解できていたのか、今となってはかなり疑問なのですが(ただし今となって分かることの一つとして、若い頃というのは、無理して難しい本を読んでは分かったふりをするという心理があるということを、分かったふりに分かっておりますが)、少しは馬齢を重ねたもので、ちょっと振り返って考えてみました。
 
 つまりこのねじれたような文体は、本当にうまいのかということですね。
 ……んんんー、と考えてみたのですが、結論的なところを申しますと、このねじ曲がった文体は、それに見合うグロテスクさとユーモラスを核とする想像力の奔流を間違いなく裏付けているもので、そのストーリーを全面展開的に追いかけていくと、やはりパワフルとしか言いようがない、と。

 そしてこのパワフルさは、少し時代が前後しますが、例えば中上健次の作品、笙野頼子の作品なんかにもつながっていく力のある表現だと感じられる、と。
 つまり文体にそんな力があるということは、やはり優れているといいきれるはずだ、と。美しさとは、当然そういった概念をも含む価値基準であるはずだ、と。

 というわけで、大江健三郎の文体は、このように「異様」にねじれていても美しいのではないかという結論に至りました。
 現実的な話として、文体は単独に存在しているわけではなく、ストーリーの必然がそれを決定していくわけで(逆ももちろんありましょうが)、そのストーリーの源泉である大江氏の想像力は、他の作家を圧倒してこの時期の彼の小説作品を独創的にしていました。

 またこの時期の筆者は小説以外でも、「想像力」こそが人類の未来へつながる唯一の道具であるという趣旨の発言をよくしていまたように覚えています。

 なるほどこの度の読書で、大江氏の際立った才能である強烈な想像力を実感して、「普通の人はあなたほどはとてもとても」とは感じつつも、人類の未来への想像力の大切さを、大いに教えられたような気がしました。


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Last updated  2016.08.15 08:52:12
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