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2016.09.11
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カテゴリ:昭和期・三十年代

  『闊歩する漱石』丸谷才一(講談社文庫)

 この夏、わたくし、ちょっといろいろ文化的な日々を送りました。
 といっても、いえ、なに、所詮、人様に大声で申し上げるようなレベルのものではありませんが、ちょっと紹介させていただきますと、例えば2回音楽会に行ってきました。バッハのオルガン曲と、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いてきました。

 絵画は、浮世絵と藤田嗣治とサルバドール・ダリと、後、現在も活躍なさっている女性画家(この方についてはご本人のご講演もお聞きしました)の各展覧会に行ってきました。
 そのほかにも映画を2回見に行ったり、小さい旅行にも2回、ジムのプールは15回ほど、そして講演会も2回行きました。

 で、その講演会の話なんですが、人から勧められて行きましたのが大学の文学部の先生の講演で、テーマは「明治初年近代文明黎明期における漢文脈」といったものでありました。

 もう少し具体的に書きますと、「言文一致運動」の初期に、特に国家が用いた文体(要するに「お触れ」なんかで用いる文体ですね、例えば「五箇条の御誓文」とか)として「漢文脈=漢文訓読体」が広く流布されていたというお話で、なかなか興味深かったです。
 (という風に書きますと、私がその講演内容をしっかり理解したかのごとく聞こえるのですが、どうしてどうして、実は難しい部分がいっぱいありまして、よくわかんないところは知らん顔をしてまとめているのであります。)

 で、どんなところが特に興味深かったかといいますと、江戸時代最もポピュラリティのあった文体は「候文」という「和文脈」の一種(時代劇に出てくる手紙なんかの文体ですね)であったにもかかわらず、なぜ「漢文脈」になってしまったかというところです。
 講演ではその理由の具体的説明がいくつかなされたのですが、要するに、やはり明治の日本文化は、江戸期までの日本文化との断絶の上に新たに展開されようとしていた(もちろんそうじゃないものもありますが)、ということであります。

 この度冒頭の「文芸評論」を読んでいて、例えばこんな箇所に出会いました。

 しかし文学者が自国の古典文学に対して関心を持つのは当たり前である。むしろ無関心なほうが異常ではありませんか。イギリスの現代作家でシェイクスピアに親しんでゐなかつたり、ダンを知らなかつたりしたら奇怪なことでせう。ところが、戦前の日本文学では、自国の古典を読む小説家なんてまつたく例外的な存在だつた。変り者もいいところだつた。国文学史と近代文学史と二本立てで行つてゐることでもわかるやうに、明治維新以前の文学は作家にも詩人にも劇作家にも無縁のものだつたのです。たとへば谷崎潤一郎訳の『源氏物語』にしても、文学の現場にはかかはりのないものでした。(『忘れられない小説のために』)

 実はここでをかしな条件が一つ加はる。漱石の場合が典型的だが、普通の知識人にとつて東方の文化とは「漢文唐詩」のことで、『伊勢』『源氏』『古今』『新古今』などは眼中になかつた。江戸の人々にとつて王朝和歌とは正月の歌がるたのこと、光源氏は『一代男』と『田舎源氏』の彼方におぼろげにある何かにすぎない。王朝の文学は知識人にとつても、大衆にとつてと同じやうに、遊戯と分かちがたい状態にあるもので、下位文化に属していた。(中略)いはゆる国文学は差当り好事の対象にしかならない。漱石も鴎外も『伊勢』『源氏』に冷淡だつたのはよく知られる通りである。かういふ自国の古典のあやふやな位置は、一国の精神の混迷をいつそう強めた。(『あの有名な名前のない猫』)


 ……えー、どうでしょうか。例えば上記の二つ目の引用文の最後の一文なんて、いかにも「丸谷的殺し文句」のようですね。
 丸谷才一の文芸評論には、いつもながらこのような切れ味鋭いアフォリズムが方々に散らばっています。

 さて、本書はタイトルにもありますように夏目漱石作品についての文芸評論ですが、3つの文章から成り立っており、それぞれ『坊ちゃん』『三四郎』『吾輩は猫である』を論じています。

 私としては2つ目の『三四郎』を論じた文章が、比較的わかりやすく書かれていて(後の2つの評論は、筆者の本来の専門である英文学との比較文学的批評になっておりまして、えー、わたくし、英文学についてはほとんど無知でありますゆえ、よくわかりませんでした。無知の悲しみですね。)

 でもわからないなりにまとめてみますと(こういうのを「暴挙」というのかもしれませんが)、初期の漱石作品には、モダニズム的特徴が広くみられるというものでしょうか。

 筆者が説くには、そもそも漱石が英国留学した20世紀初頭(1900年~1902年留学)は、まさに英国のジョイスやフランスのプルーストなど、「モダニズム文学」の揺籃期であった、と。そして漱石も、19世紀のリアリズム文学の反動としてのモダニズム文学の台頭を必ずや現地で肌で感じていたはずだ、と。

 えー、たぶんそんな漱石作品についての文芸評論が、すっごく面白い話題を一杯散りばめながら書かれています。(私は英文学がらみのところはよくわかりませんでしたが。)
 「知の世界」を満喫するのに、まさにとてもふさわしく、有り難い本であります。

 最後に。
 タイトルの「闊歩する」とは、なるほど、イギリスの大通りを闊歩する(モダニズム文学の誕生を肌で感じている)漱石のことなんですね。


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Last updated  2016.09.11 15:13:20
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