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2016.12.31
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カテゴリ:昭和期・新戯作派

  『ヴィヨンの妻・桜桃』太宰治(岩波文庫)

 前回の続き、後編です。
 岩波文庫の、太宰治の戦後の短編小説を集めた本書から『ヴィヨンの妻』について考えてみたいという読書報告でした。

 そして、まず女性主人公である「椿屋のさっちゃん」の夫、「詩人の大谷」から考えてみたのですが、太宰作品にしばしば登場するこの系列の登場人物は作者自身を彷彿とはさせますが、冷静に読んでいくとちょっと消化不良なわりにくどい感じがして、魅力的とは言い切れないんじゃないかと、わたくし少々暴論を吐いてみました。

 いえ、暴論かもしれませんが、例えば『斜陽』でも主人公のかず子はなかなか魅力的ですが、太宰本人のキャラクターを二つに分け与えたようなかず子の弟の直治と、かず子の恋人の小説家の上原は、結局のところキャラクターとしては少々貧弱にも感じます。

 同様のことが本作品の大谷にも言える(実際書かれている描写から考えるに大谷は明らかにアルコール中毒で、すでに善悪の判断とかの理性部分がかなり破壊されており、また肉体的にもきっと常時の失禁などがある段階と考えるのが適当でしょう。現在ならアルコール依存症として入院すべき「単なる」病人でありましょう。)と私は感じたのですが、でも時々さすがにチャーミングな表現があったりします。例えばこんな所。

 (略)二日に一度くらいは夫も飲みにやって参りまして、お勘定は私に払わせて、またふっといなくなり、夜おそく私のお店をのぞいて、
 「帰りませんか。」
 とそっと言い、私もうなずいて帰りじたくをはじめ、いっしょにたのしく家路をたどる事も、しばしばございました。
 「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ。」
 「女には幸福も不幸もないものです。」


 やはりかなり上手に魅力的に書いてありますよねー。
 でも、一応、そういうことで(そういうことってどういうこと?)大谷は終了しました。

 いえしかし、なんといっても『ヴィヨンの妻』の魅力は女主人公「椿屋のさっちゃん」の造形ですよねー。
 何よりも一生懸命なのが、読んでいてハラハラすると同時に思わずそばに寄り添ってあげたくなるような人物造形です。しかしこれも太宰治のとっておきの「芸」でありましょう。

 落ち着いて読み直してみますと、まずストーリーがさっちゃんにとっても運のいい展開になっています。(最後の事件については別に後で考えてみます。)
 借金返済についてどうしようもなくなっていた時「奇蹟はやはり、この世の中にも、ときたま、あらわれるものらしゅうございます。」とある出来事に逢ったり、そしてそのまま人のいい飲み屋の夫婦に雇ってもらえたりします。

 もちろんこの展開は、夫=大谷にとっても都合のいい展開になりますが、上記に「運のいい展開」と書きましたが、本当はさっちゃんにとっては「心地よい展開」というほうが正しいかなと思います。

 つまり、好きな男に好きであるという「貸し」だけを作り続けて関係してゆける心地よさ、とでも言いましょうか。
 さらには夫=大谷にも、そのことはきっとわかっているに違いないとさっちゃんも考えられ、それはほとんど「優越感」に近い感情となるでしょう。
 本文に「文明の果ての大笑い」というフレーズが出てきますが、そんな本作の明るさは、間違いなくこのさっちゃんの大谷に対する「優越感」にあると思います。

 では最後の、上記にペンディングしておいたレイプ事件はどう考えるのでしょうか。
 わたくし思いますに、このレイプ事件の前までで作品を終わらせることはきっとできたはずだ、と。ではなぜ筆者はそうしなかったのか。

 これもわたくしの思い付きのような私見ですが、前回の読書報告でも取り上げていたきりきりと弓を引き絞った標的としての最後の一節ではありませんが、このレイプ事件もそれとの整合ではなかったか、と。
 本作の最後の一節はこうなっています。

 「(略)さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮れにね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久しぶりのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事もしでかすのです。」
 私は格別うれしくもなく、
 「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」
 と言いました。


 つまり、さっちゃんを、大谷(=ほぼ筆者)と本当の血族のような「人非人」にするためのレイプ事件ではなかったか、と。

 ちょっと待った、なぜレイプされたことが「人非人」になるのだとのご意見に対しては、一つは時代的な側面(「不注意」「夫への秘密」なんて言葉)を、もうひとつは『人間失格』にも描かれていたような筆者のモラルの在り方をお考えいただければ、私の愚説も、少しは笑って首肯していただけはしないか、と……。


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Last updated  2016.12.31 10:02:08
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