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2018.09.02
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カテゴリ:昭和期・後半女性
『ミーナの行進』小川洋子(中公文庫)

 はやいもので、小川洋子氏が『博士の愛した数式』を書いてベストセラーになってもう15年になるんですね。(ネットでちょっと調べてみました。以下の年譜関係の部分もみんなそうです。)
 そのベストセラー作品の、次の次の長編小説が冒頭の本書であります。

 以前私は、作家のキャリアの中には、思いがけないヒット作が出てくる時があるのではないかということを、本ブログに書きました。
 その時、二人の作家の2つの長編小説を例に取り上げたのですが、その一つが村上春樹の『ノルウェイの森』で、これについては村上春樹自身の、思いがけないヒットであり、さらに自分の求めるものの本筋の作品ではないというニュアンスの言葉があります。

 でもねー、やたらに売れますとねー……。
 中には、それまでの作品の持ち味やテーマなどが微妙に変わっていく作家がいるような気がします。さて小川氏はどうなんでしょうか。

 これもネットで見ますと、小川氏は村上春樹などと並んでフランスでよく読まれるとあります。(村上春樹はもちろんフランスだけではないでしょうが。)私はさもあらんと思いましたね。

 小川氏の作品の多くに流れる失われたものへの哀愁めいたものの底には、なにか存在そのものが持つ、小さくて冷たくて黒くて硬い、カチンと乾いた音のするようなものがあるように感じます。
 この哀愁と硬質なものとの絶妙なバランスが、いかにも優雅と残酷に嗜好のありそうなフランスで受けたのじゃないかと私は思いました。そしてそれは、『博士の愛した…』もそうだったと思います。

 さて『ミーナの行進』です。
 私は、ベストセラー『博士の愛した…』の次々作の本書には、硬質なものがあまりない、あっても『博士の…』ほど有効に効果を発揮していないと思いました。
 とすると後に残るのは、失われたものへの哀愁だけということになり、少しはっきり書くと、これはポピュリズムとセンチメンタリズムと、きわどい関係を持ちます。
 例えばこんなところ。

 私は邪魔にならないよう注意しながら、そっと彼らの間をさ迷い歩く。なのに必ず誰かが私に気づき、まるで三十年の月日などなかったかのようにさり気なく、「なぁんや、そこにいたん、朋子」と声を掛ける。「そうよ」と私は、思い出の中の人たちに答える。

 ネットで本書の感想をパラパラと読んでいますと、このあたりの過去へのノスタルジーはほぼ絶賛という感じがします。そして、これは女流であるからかもしれませんが、そんな絶賛は、女性の読者にとても多いようにも思います。

 実はもうひとつ読んでいて少し気になり続けたことがあったので、これもネットで探ったのですが(結構あちこちに行かなければわかりませんでした)、本書の初出はどんな形であったかという事です。(そんな情報は、普通本文の終わった後のページに書いてあるものですが、少なくとも中公文庫にはありません。)

 それは新聞小説でした。ただ毎日の連載ではなくて、週一回の、そして新聞一ページすべてが掲載一回分の連載であったという事です。
 それがわかって私は一応納得したのですが、何がというとストーリーが重層的に進まず、エピソードの「羅列」のようになっていることについてです。
 結局のところ、本作はよく使われそうなフレーズで言えば「大人の童話」なのかもしれません。

 ここまで読めば、たぶんお判りいただけると思うのですが、実は私は本書をさほど楽しく読み進めることができませんでした。
 ただ私は、自分があまり楽しく読めなかったことが、作品の客観的評価とは必ずしも重なるものではない(特に最近はわたくし現実社会に対する無知さ加減が拍車をかけ、世間的評価基準がズレまくっているような……)、ということは自覚しております。

 そもそも私が「大人の童話」をさほど楽しく読めないことについては、坂口安吾の影響がありまして、安吾の「文学のふるさと」という一文のせいです。

 この随筆はなかなかの名文で、確か高校の教科書にも載っている(載っていた)と聞きますが、例えば「赤ずきんちゃん」の童話には切ないようなものがあり、それはまがうことなき文学のふるさとであると書かれています。
 そして安吾は、それをとても愛するが、しかし大人の仕事はふるさとだけにかかずらっているものではないとまとめています。
 私は、昔に読んだこの文章の影響からいまだに逃れられないでいる、ということであります。

 ただ、あまり楽しく読み進めることができなくても、筆者が本書において誠実に文章を綴っていることは感じました。
 ネットの感想の中にも、文章が好きだというものがいくつかありましたが、ちょっと言葉を選びますが、小川氏の文章には、真面目な優等生が真剣に物事に取り組んでいる姿を彷彿とさせるところがあります。

 そんな文章を読むことの楽しさについては、上記にあまり楽しめなかったなどと書いた私にも、充分快さをもって感じることができたのでありました。


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Last updated  2018.09.02 21:52:28
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