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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2019.07.21
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  『唐草物語』澁澤龍彦(河出文庫)

 さて、澁澤龍彦です。
 今回この報告を書くに当たって、一体私は何歳くらいまで澁澤龍彦の本(あの黒魔術がどうのこうのという本)を、追いかけるように読んでいたのだろうかと思い、20代中盤くらいから書き始めたエクセルの読書記録(20代中盤からエクセルで記録し始めたのではなく、ノートに書いていたのを後年まとめたのですが)を見返してみました。

 それで解ったのは、私は20代までは澁澤作品をかなり読んでいて、しかし30歳以降は殆ど読んでいないということでした。
 とすると、私にとって澁澤龍彦は、まさに「青春の読書」体験だったということですか。

 うーん、太宰治の小説が、青春期のはしかのような作品だとはよく言われることですが、私にとっては澁澤作品が、それにあたっているのでしょうかねー。
 しかしなぜ、「澁澤黒魔術作品」が私の青春読書だったのでしょう。

 さて、『唐草物語』です。
 本書には、12の短編小説が収録されています。なるほど一応小説ですが、当たり前だとは言え、澁澤龍彦の「黒魔術」系の話題も満載しています。
 ただ、半数ほどの作品は日本古典の世界が舞台となっており、そこに目新しさがあって、今の私としてはこちらの方が、はるかに嗜好に合致します。

 前から6つ目に「金色堂異聞」という作品があって、奥州平泉の金色堂の話なのですが、このあたりから、小説としてはかなりほぐれてくる感じがします。(初めの方の作品は、少し展開がぎこちない気がします。)中盤作品あたりからやっと、展開が自由になってきたような感じです。

 そしてその次の7つ目に書かれてある「六道の辻」という作品が、私は本書の中で一番できがいいと思いました。
 筆者自身のような人物が出てきて狂言回しをしていき、フィクショナルなパートに繋がっていくのですが、そのつなぎ目がとてもなめらかで、終盤の種明かしのような、また読者をけむに巻くためのようなブッキッシュな説明部も、きちんと過不足なく収まっています。
 その絶妙なバランス具合が、やはり最もメインの部分であろうフィクショナルな展開部を際立たせていて、とても見事です。

 さらにこの後の作品も面白く書かれているのですが、しかしそんな作品を一つ一つ読み終えて、私はふと、中島敦の短編のことを思いました。
 同時に私は、この中島敦との比較は、はたしてフェアなものなのかとも感じました。
 つまり、短編小説の面白さとしては、中島敦レベルのものがこの作品群の中にもあるとは思いつつも、それが心を撃つものかという事になると、これはちょっと比較のできるものではないなと思ったわけです。

 確か三島由紀夫が、もしも澁澤龍彦がいなかったら日本の文学界はどんなに寂しかっただろうかみたいなことを書いていたように覚えています。
 それは概論的な一つの評価としては、私も大いに納得できると思います。

 ただ、それが澁澤龍彦のすべての作品においてとなると私の手には余るのですが、少なくとも今回の小説集の小説でいえば、その寂しさには堪えられると言えないこともないという気がします。

 では中島作品との比較について、なぜ私がはたしてフェアだろうかと自らに問いかけたのかというと、そもそもこの澁澤短編小説作品は、人間を描こうなどと思って書かれたものかという事であります。

 いわゆる人間を描くというのは、文学にとってかなり普遍性ある価値だとは思いますが、それを端から認めない価値だって多分ないわけではなく、ひょっとしたら澁澤短編小説がそうである可能性は低くない、と。

 だとすれば、これらの作品を読んで我々が反応すべき「正しい」(もちろん「 」付きの正しさです)姿は、面白がってそれで完結すればいいということありで、そして、そのための作品であるなら、この短編集は十分なものを私たちに提供してくれていると思います。

 本文冒頭になぜ20代だけに私は澁澤作品を読んだのだろうという問いをしましたが、何となくその答えの「感じ」は、わかる気もします。

 要するに20代のあの頃、私にとって日常生活というものは本当のところなかった、そんな時代の読書だった、ということでしょうか。(そんな時代に、確かに黒魔術は入り込みやすいという気がします。)
 それはまた、今思えば1960年代後半から70年代前半という時代の空気にかなり負っていたようにも思います。

 しかしその後、極私的な話としては、私は30代になり子供もできて、仕事の上でもお定まりのストレスまみれになって、今度はそんな時に「黒魔術」とか「サド」とか「ホムンクルス」とかいわれても、私の精神世界は猥雑な現実に飲み込まれてしまっていて、どこの世界の話なのかうまく反応しなくなったのだと思います。

 結局それは、私の精神世界がいかに脆弱であったかということであるのでしょう。
 ただ、どんな現実に生きても全き自由な精神世界を持つというのは大いにあこがれはしますが、なかなか凡人には我がものとし難いものだと、これも今となって(澁澤作品にかつての魅力をさほど感じなくなって)、少し寂しく思うものであります。


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Last updated  2019.07.21 17:01:57
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七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
analog純文@ Re:方丈記にあまり触れない方丈記(03/03)  おや、今猿人さん、ご無沙汰しています…
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