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analog純文

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2020.02.10
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​​​  『山椒魚』井伏鱒二(新潮文庫)

 『山椒魚』の冒頭に「山椒魚は悲しんだ。」とあります。
 また、この井伏鱒二の初期短編集には12の短編小説が収録されていますが、その多くの作品に「くったく」という単語があったように思います。
 筆者の、少なくとも初期作品を貫くテーマは、この「悲しんだ」「くったく」という事だったと思います。

 ところが、では筆者は、あるいは作品の登場人物は、具体的に何に「くったく」しているのかと見ていくと、それがなかなかよくわかりません。

 私としてはそれがかなり気になって、なんとも、この一連の初期作品をトータルで納得したという気になれないんですね。そわそわした感じが残ります。

 例えば、名作としての誉れ高い『山椒魚』だけを単独で読んだとすれば、そこに描かれている「悲しんだ」の正体は(いえ、「正体」というほどはっきりと私が捉えているわけではないのですが)、例えば、井伏鱒二についての話ですからその「係累」という事で太宰治の言葉で書くと、
 「生くることにも心せき、感ずることも急がるる」
という箴言めいた一節に表現されているものであるような気がします。

 それはまた、私のだらしない連想でつないでいけば、漱石の俳句
  菫程な小さき人に生れたし
にもつながっていく欲求のような気がします。

 そのように考えて初めて、『山椒魚』のラストシーン(筆者が最晩年に削除(!)してしまった部分)の「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」という山椒魚のセリフの生みだす広い世界に、我々は感動するように感じます。

 ところが、この『山椒魚』型の悲しみは、他の作品にも広く点在する「くったく」と、重なるように見えて、しかしどうもそうではないように思います。

 それは、上記に二つ挙げた例でもう一度考えてみれば、この「くったく」は、例えば表現者として圧倒的な才能の重さを負っていた太宰治のものとも、またその時代においては国内で最も選ばれた知識人のひとりであった夏目漱石のものとも、どう考えても重なるものとは思いづらいからです。
 何より本短編集には、ほぼインテリゲンチャは姿を見せません。(作品の視点となる人物については、少し置いておきます。)

 本短編集の収録作品は、大雑把にですが、二つの種類に分けられそうな気がします。
 いえ、そんなにくっきりと二系列に分けられるのではなく、作品によって二系列の要素が多い少ないの配分を違えながら描かれているように思います。

 一つは「表現=言葉」追及系列。
 そしてもう一つは、もう一つは何と名付けましょうか、やはり「庶民」という言葉が浮かびます。うまく表現できませんが「庶民=生活」追及系列。

 私がよくわからないのは、二つ目の追及系列をテーマとするこの初期井伏作品群が、果たして優れたものであるのかどうかという事であります。

 いえ、もちろん優れてはいるのでしょう、総体的な小説評価としては。
 本文庫本には二つの解説文がありますが、そのうちの一つ目の解説(河盛好蔵)には『へんろう宿』に対する高い評価が書かれています。
 以前私が読んだ岩波文庫の井伏鱒二初期短編集にも『へんろう宿』は収録されていて、解説者の河上徹太郎は、もっと強い調子で『へんろう宿』を評価しています。

 この度私が本短編集を再読して、かなり戸惑ったことのひとつが、『へんろう宿』が、前回読んだ時程わたしのなかにくぐっと入ってこなかったことでありました。
 以前岩波文庫で読んだ時もこの新潮文庫版で読んだ時も、もっと、何といいますか、この作品に生きることの深淵を垣間見たような気がしたのですが。

 『へんろう宿』は、上記の私の拙い二系列整理でいうところの、典型的な「庶民=生活」追及作品だと思います。
 もちろん、理屈で考えますと、よく書けているじゃないかという感覚はあるのですが、何か、不気味に迫ってくる実感がありません。

 そういえば『屋根の上のサワン』についても、今回、終わり方のあっけなさに少し戸惑いました。
 しかしもとより、井伏鱒二は、何か大きなものを描く時、それを外して外して描く作風の作家であります。

 太宰治が最晩年に『井伏鱒二選集』の解説を書いていますが(第4巻まで書いて自殺してしまいましたが)、その中に、酒の席で聞いたことのある井伏評だとしてこんな風に書いています。
 「井伏の小説は、泣かせない。読者が泣かうとすると、ふつと切る。」
 「井伏の小説は、実に、逃げ足が早い。」

 太宰は他人の批評だとしていますが、きっと太宰自身の実感でもあるのだと思います。実に穿った的確な評だと思います。

 さて、この度私は本書を読み終えて、はっきり言いますと、とても「くったく」としてしまいました。
 私は今まで、ややぼんやりとではありますが、井伏鱒二は好きな作家のひとりのつもりでいたんですね。それが、描かれた文体としては舌を巻くようなところ、読んでいて心地よい感じはありながらも、どこかやはり「逃げ足が早い」。
 早すぎるんじゃないかと感じてしまいました。

 この物足りなさは、わたくしの感覚の老化であるのでしょうか。
 この年になってのこの「くったく」は、あたかも井伏作品の登場人物のようにどこか寂しいものがあると、私は、感じることしきりであります。


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Last updated  2020.02.10 08:55:47
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