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2020.08.08
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カテゴリ:昭和期・後半女性
  『献灯使』多和田葉子(講談社文庫)

 前回、私はこの筆者の持ち味であるシニカルと軽妙さは、この小説のテーマに本当に合っているのかという、ちょっと「厚かましい」感じの報告と意見を書きました。
 その続きになるのですが、このシニカル・軽妙文体だからこそ効果がある、と思われる展開も感じました。
 それは、やはり二つ、です。

 1・一種の「オコ物語」としての主人公「無名」の魅力。
 2・終盤に少し描かれる未来の希望への期待。

 この二つについて、軽妙な文体はストーリー展開と人物描写に、一種の「浮遊感」のようなイメージに与えている気がしました。
 ただし、それは同時に、そのまま裏返しのものとして、リアリズムの不徹底とも言えそうです。

 例えば、ドストエフスキーの小説に描かれた「聖なる白痴」とか、例えば、大江健三郎の小説のほぼ毎回の主役といってもいいような、障がいのあるキャラクターなどの延長上に、本作の「無名」は描かれ、そのイノセントさはとても魅力的であります。

 また、ほとんど体力というものを失った若者たちの未来に、むしろ新しい人類の希望を期待していく終盤の展開も、黎明の陽射しのようなものを感じさせます。

 しかしそれは、やはり別の角度から見れば、リアリズムの不徹底という不満も感じられそうです。(特に新しい人類の希望については、具体的な描写がない分、感傷性への流れ込みに終わってはいないかとも思えます。)

 この物足りなさは何だろうと思った時、ふっと気が付いたのは、この作品は「献灯使」とタイトル付けながら、ほぼ「献灯使」に触れていないということでした。

 私の読んだ講談社文庫ではこの作品は160ページほどですが、「献灯使」らしいもののエピソードが初めて出てくるのは100ページ過ぎで、「献灯使」という単語が初めて出てくるのが140ページ過ぎです。
 「無名」と「献灯使」が具体的に繋がった時にはすでに150ページを過ぎていて、残り10ページほどしかありません。
 これはどういうことでしょうね。

 私が考えられる原因は3つですかね。

 1・そのテーマを、イメージの表出だけでとどめる手法。
 2・特に後半の構成が、最初に考えていたものと異なった。
 3・未完である。

 ……素人推理ながら、いかがでしょうか。
 ちょっと「本命」っぽいのは、3番ですかね。いわゆる純文学作品には、こんな感じの長編連作小説が結構あったりします。
 (それの得意だった作家は、何と言っても川端康成でしょうか。『山の音』『千羽鶴』、短めの作品でも『片腕』なんかがそんな連作作品で、三島由紀夫が少々苦情を述べていましたね。)

 さて、そんな、ちょっと戸惑った感想をこの度私は持ってしまいました。

 最後にまた少し気にかかったのですが、このお話も一種の「ディストピア小説」ですよね。
 ディストピア小説と言えば、私は先日ジョージ・オーウェルの「1984年」を読んだばかりなのですが、そういわれれば、かなり似通っているような気もします。
 (オーウェルの『1984年』は三部構成の小説ですが、この『献灯使』は、ちょうどその第二部までみたいな感じの作品ですね。……ということは、やっぱり、続編がある? かな。)

 両作品は、要するに「ディストピア」という一つの「世界」を筆者が作り出しているわけで、しかしそうなると、なんか、ちょっとその世界にマゾヒズムを感じてしまうようなところって、ありませんかね。(極端な例を挙げると『家畜人ヤプー』みたいな。いや、あの小説は、筆者にとっては「ユートピア小説」だったでしたか。)

 いえ、自分でも、それは考えすぎだろうとは思いつつ、ちょっとそんな感じが残りました。


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Last updated  2020.08.08 08:35:22
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