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2020.09.06
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  『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』芥川龍之介(岩波文庫)

 とうとう4回目になってしまいました。何が何でも今回はまとめねばなりません。がんばります。

 前回の林先生の最初の問いかけは、「なぜ下人は羅生門の下にいたのか」ということでした。
 この度、一緒に他の人の論文を読んでいたら、たまたま書いてあったのですが、「羅生門」の舞台である平安時代後期に、京都で、最下層の人々が集まっていた地域は二か所あったということです。

 四条加茂河原と五条の橋の下の難民群

 しかし下人はそれらの場所に行っていないんですね。その代わり、死体がごろごろ転がっている羅生門に、吸い込まれるように近づいていきます。
 そして夜になり、一晩眠れそうな場所について考えたとき「上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである」と考えて羅生門の階段に足を掛けます。

 この場面について、我々は何となく見落としていたように思いますが、下人のこの感情は確かにかなり異常であります。
 しかし芥川は、この死体の中で一緒に眠りたいという異常心理を、異常を異常と意識しない死に傾斜した男の精神状態を、この後何も追求せず語っていません。

 作品中の時間を少し巻き戻します。
 羅生門の二階に上がる前に下人が考えていたのは、四、五日前に職を失い、明日の暮らしをどうすればいいかということですが、ここの語り手の説明が実に回りくどく、また行きついたところが釈然としません。

 さらに下人はこう考えます。
 どうにもならないことをどうにかするためには手段を選んでいる時間はなく、残された選択肢は盗人になる以外はないとはわかっている。しかし、それを積極的に肯定できない、と。
 ここの本文の描写はこうなっています。

​ 下人は、手段を選ばないということを肯定しながらも、この「すれば」の片をつけるために、当然、その後に来るべき「盗人になるよりほかにしかたがない」ということを、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。​

 林先生は、この部分を作品の前半のクライマックスであると捕え、そして乾坤一擲の指摘をします。

 「勇気」ということばに、何かおさまりの悪さが感じられる

 うーん、これも、言われれば大いに納得する指摘でありますねー。
 そしてこう畳みかけてきます。

 本来、下人の性格に認められる「死に傾斜した気分」は、彼の行動不可能性と無縁のものではないはずだが、楼に上って後、老婆とのやり取りの中で突然「善」「悪」のモラルの問題が前面に出てきたせいで見失われてしまった、と。

 しかし上記に引用した「積極的に肯定」できない距離とは、実は読者の感覚でいえばほとんどわずか一歩にすぎないものではないでしょうか。(言われてみれば大いに納得できるこの「違和感」は、実に重要であります。)
 にもかかわらず、下人の実感に密着する形で芥川は、それを無限大に近いものとして語っていきます。

 この後半の展開こそが、すわりが悪いにもかかわらず書かれた「勇気」の理由です。
 この伏線の許に、後半の下人の心理がただ一歩の距離を越えるという展開の焦点として、語り手は「勇気」の言葉を最大限に利用しています。

 しかし上述したように、下人の気分が「死への傾斜=生の意欲の喪失」の反映であるならば、「勇気」の言葉による「行為」への跳躍など、問題の性急な単純化にすぎません。つまり後半の展開は、前半の逡巡をなぞったように見せて、しかしそこには奥行きも幅の広がりも新たに提示するものはありませんでした。

 これは結局のところ、芥川が、下人の性格にかかわる問題の本質を把握していないということであります。
 あるいは執筆当時の個人的感覚の要求(=自己解放の叫び)に、本来の彼が温めていた(であろう)テーマがねじ曲げられた結果であったともいえましょう。

 ……という論文でありました。
 読み終えて私は、今まで「羅生門」の作品的欠陥について書かれた文章を読んだことがなかったことに気づきました。
 しかしそもそも、「羅生門」は23歳の大学生が書いた小説ですからねぇ。

 そんな意味でも、今回のわたくしの「羅生門」を巡る小さな「学習」は、とても面白かったです。
 なるほど、対象作品を絞りこんで、そしてそれについて深く調べるという読書は、普通なら見落とすような細かな表現の「凄さ」がわかって、なかなか面白いものであります。

 あ、最後にもう一つ。
 これも有名な「羅生門」の結語の改稿(※)について、林先生は、「自己解放」のテーマを抑え「死への傾斜」の方へ揺り戻しをしたものだと指摘しています。

 さらにこの改稿は、大正4年に発表された本作が、大正6年5月雑誌「白樺」に発表された志賀直哉の「城の崎にて」(これこそ理屈で処理できない、気分としての死への傾斜を最も鋭く描いた小説)に影響を受けた結果(改稿された「羅生門」は、大正6年5月刊行の第一小説集『羅生門』収録)ではないかと、……うーん、時期的にはかなりぎりぎり微妙なところですが、これもなかなかスリリングな指摘でありました。

 ※初出時の作品の末尾の一文を、芥川がその後改稿したという「問題」。
  ◎(大正4年・「新思潮」初出稿)
   ​「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ、強盗を働きに急いでいた。」​
  ◎(大正6年・第一小説集『羅生門』収録稿)
   ​「下人の行方は、誰も知らない。」​


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Last updated  2020.09.06 10:56:23
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