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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2022.06.04
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  『この道』古井由吉(講談社)

 この連作短編は、2017年から翌年にかけて「群像」に隔月連載されていたものです。その時の筆者の年齢が80歳から81歳、そしてその翌年2月に筆者は亡くなります。

 というところからも連想されるように、本書はなんとも重い連作短編集です。書かれているのは、言わずもがな、「老い」であります。

 現代日本文学の、特に近年の大きなテーマの一つが、これですよね。
 私自身人ごとではありませんので、それとなく、というか、わりと積極的にそんな小説を探して読んだりしています。

 何冊か読みましたが、しかしなんとなく物足りないというか、読んでいて、それはそのように設定された主人公の、かなりパーソナルなお話じゃないんですかという印象が、残るんですね。

 無理を承知の言い方をすれば、普遍的な老いじゃない、と。
 そんな無理筋の感想を(そもそも普遍的な老いなんてないでしょうに)、無理筋を承知で抱くわけです。

 たぶんそれは、私の個人的な「問題」でしょう。
 マニュアルを求めようとするからそうなるのだという気が、自分でもしています。
 でも、まぁ、そうなんですね。

 そんな私が、今回本書を、ある意味で現在の老人文学の極北のような本書を、読んでみました。
 で、まず思ったのは、やはり、なんとも気の塞ぐものであるな、と。

 わたくし、変なたとえ話を思ったのですが、もしも小説も売り物の一つだと考えるなら(普通はそうでしょうね)、老人文学とは、セールスポイントがほとんどない売り物、という感じではないですかね。読者が買って「得」するものが何もない、という。

 それも、老人文学として「本物」であればあるほど、それは読んでいてうっとうしい。
 カタストロフィなんてないのはもちろん、そこに描かれていることを糧に、その後の人生が豊かになるという要素もありません。だって、老いには多分普遍がないから。

 そもそも、「本物の老人文学」という言い方に、二律背反がありませんかね。
 実はその時、私は本書について、はっと思ったのでありました。

 ちょっとアプローチの仕方を変えてみますね。
 わたくし本書を読んでいて、以前こんな感じの小説を読んだなぁと思った作品がありました。
 色川武大の『狂人日記』です。
 ただ、かなり昔に読んだきりなので、具体的な内容はほとんど覚えていないのですが、確か山田風太郎がこの本のことを、「狂った頭を描く狂っていない頭」と評したのを覚えています。

 さて、本書です。
 山田風太郎になぞらえると、本書は「老いた頭を描く老いていない頭」となりますが、「狂」と「老」を入れ替えただけなのに、「老」の入れ替えは、どこかおかしいですよね。二律背反じゃないですか。

 いや、おかしくないだろう、という声も聞こえそうです。「狂った頭」は「狂っていない頭」だから描けるので、それは「老い」でも同じじゃないか、と。

 なるほど理屈のうえではそうなのかもしれません。例えばもう今となっては老人文学の古典的作品の『恍惚の人』なんて小説はそうでしょう。筆者有吉佐和子は「老いていない頭」でこの小説を書いたのだと思います。

 私の書き方がよくなかったのかもしれません。
 私の言いたかったのは、『この道』の筆者は、本書において「老いた頭を老いた頭」で書くというアプローチを意識的に試みているのじゃないかと、本書を読んでいる途中から気がついたということです。

 なぜ「途中から」かといいますと、本書には8つの短編が収録されているのですが、冒頭の「たなごころ」という短編にのみ、私は小説的な構成を感じたからであります。
 小説的という言い方をするならば、私はこの一作が、本書の中で一番できがいいと思います。続く二作目にも、少しそんな小説的結構が描かれようとしますが、後半それがどんどん解体され捨て去られて終わったように思います。

 そして三作目以降は、小説的な「細工」を、いえ、小説的なだけでなく、ほとんどあらゆる「書き物」としての「細工」を取っ払って、そしてひたすら自らの「老い」をドキュメントするという、そんな筆者の意志の読みとれる一冊だと私は感じました。

 筆者はまるで科学者のように、自らの内なる「老い」=「認識の薄れ」を、薄れるぎりぎりの内なる認識で記録しようとします。老いた頭を老いた頭のままで捉える、観察対象と観察者が同一であるというアクロバットのような「二律背反」の試みだと思います。
 そして確かに、この「素手」で掴むような記録には、小説的な文飾が全くない分、じりじりと迫ってくる緊張感があります。

 ただ、やはり、……やはりねー。……。
 この戦記のような「老い」の記録は、やむを得ずとも思いつつ、一つ間違えればあまりに玄人向け(あるいは「マニア」向け)のようで、わたくしとしては、上記に触れた小説的セールスポイントに欠けすぎはしないかと、少々不満に残るものがありました。


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Last updated  2022.06.04 09:59:06
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