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近代日本文学史メジャーのマイナー

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analog純文

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2022.10.25
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  『彼岸過迄』夏目漱石(岩波書店)

 わたくし、本小説を2017年発行の新しい岩波の漱石全集で読みました。第七巻一冊がまるまる本小説であります。図書館で借りました。

 以前、同漱石全集で『三四郎』を読んだら、新しく書かれた巻末の注解がとってもおもしろかったんですね。そこで、今回も同じ柳の下をねらったのですが、今回はさほどびっくりするほどおもしろい注解はありませんでした。しかし、今回は月報におもしろいことが書かれていました。

 書いたのは柴崎友香という小説家で(寡聞にして私はこの方の小説を読んだことがありません)、この小説はヘンな小説だと書いてありました。そしてその理由が二つ。

 一つは、タイトルもヘンだし(このタイトルのヘンさは、私も拙ブログで取り上げたことがあります。世の中には大概いろんなタイトルがありますが、これだけ徹底的に「業務メモ」に徹した小説のタイトルは、わたくし他に存じません)、小説としての「禁じ手」がある、と柴崎氏は書きます。

 それは最後の章の「結末」で、最後に自分の小説をレポートのように説明してしまうなど、「小説として普通はやってはいけないことをやってる」と書いてます。
 なるほど、そうなんですか。知りませんでした。

 二つ目は、本小説が「計画通りに書き上げられたとは言い難い」とされています。
 確かに、本書の先行研究にもありますが、作品内の時制は、本書の終盤の「松本の話」の後に作品の冒頭の時間に戻る形になっています。
 ところが、その時間にいる須永の人柄は「退嬰主義」と書かれてあり、「松本の話」のエンディングに書かれた須永の手紙から伺われる彼の人柄のトーンと、どうも整合性を持ちません。
 漱石、よく考えずに書き出した? と思わざるを得ない部分であります。

 という風に柴崎氏が指摘するように、本小説は確かにどこか何かヘンな小説です。
 終わりから三つ目の「須永の話」がもっともクライマックスであり、そして、そこは異様な緊張感があふれていますが、その回もぷつっと終わってしまい、その次の回はいきなり「松本の話1」になっています。
 本書を朝日新聞で毎日読んでいた明治時代の読者は、かなり戸惑ったんじゃないでしょうかね。
 「あれ、私は1回か2回分、読み忘れたっけ」などと思って古新聞をめくり直したと思いますよ。(それも漱石のテクニックだとしたら、うーん、漱石、策士ですねー。)

 そしてそのクライマックスの須永と千代子の二人の「口論」についても、最終回の一つ前(第34回です)で、いきなりこういう形で口火が切られます。

 「あなた夫程高木さんの事が気になるの」
 彼女は斯う云つて、僕が両手で耳を抑へたい位な高笑ひをした。僕は其時鋭どい侮辱を感じた。けれども咄嗟の場合何といふ返事も出し得なかつた。
 「貴方は卑怯だ」と彼女が次に云つた。此突然な形容詞にも僕は全く驚かされた。

 この千代子の高笑いは、しかし、いかにも唐突感があります。
 なぜこんな高笑いが出てくるほどに急に彼女の気持ちが煮詰まったのかについて、私は今回読んでいてふと、少し前に読んだ漱石の『こころ』の、Kが突然お嬢さんへの切ない恋心を「私」に告白するシーンを思い出しました。あの場面のKの心理も、よく考えれば分かるようで分かりにくいものであります。

 また、その二人の「口論」が異様に盛り上がったままぷつりと切れて次の「松本の話」の章に入った後、二人の関係はこのように描かれています。

​ 彼等は夫婦になると、不幸を醸す目的で夫婦になつたと同様の結果に陥いるし、又夫婦にならないと不幸を続ける精神で夫婦にならないのと択ぶ所のない不満足を感ずるのである。​

 そして、そんな千代子との関係を持たざるを得ない運命的な須永の顔つきを、こう書いています。

​ 僕は彼の此顔を見ると、決して話を先へ進める気になれないのである。畏怖といふと仰山すぎるし、同情といふと丸で憐れつぽく聞こえるし、此顔から受ける僕の心持は、何と云つて可いか殆んど分らないが、永久に相手を諦めて仕舞はなければならない絶望に、ある凄味と優し味を付け加へた特殊の表情であつた。​

 どうですか。この二つの表現は言おうとしているものの実体がちょっとわかりにくくないですか。私なんかは、これは無理筋じゃないのかなどと思ってしまったりします。

 で、私の連想はここで又ふっと飛んでいくのであります。
 こういう無理筋描写は、村上春樹の小説にもよく見られるのではないか、と。
 正確な引用ではなく申し訳ないのですが、例えば「100%の女性」みたいな書き方を村上氏はよくなさいませんかね。
 あれも、実体の分かるようで分からない表現ではないですかね。
 でも、村上春樹の小説の魅力の一つにそんな描写があると、私などは思っています。それは、多分、論理ではない小説的なとしかいいようのない表現でしょう。
 漱石のこんな表現もまた、読んでいて心に後を引くように思います。時をおいて、ふっともう一度読み返したくなるような。

 さて、冒頭に紹介しました柴崎友香氏は、本小説は漱石作品の中で『草枕』と並んでもっとも好きな小説だと書いています。
 その理由として挙げている一つは、本小説の「肩すかし感」である、と。
 これも、とても共感できる分析でありますね。

 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 





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Last updated  2022.10.25 16:31:26
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七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
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