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カテゴリ:昭和期・三十年男性
『静かな生活』大江健三郎(講談社文芸文庫) 本書は、わたくし再読であります。 読書報告も2回目(以前に一度、本書の読書報告をしたという事)、であります。 さっきパラパラと自分が書いた昔の報告を読み直してみたのですが、まー、一応、今でもほぼ同種の感想と思えることが書かれてありました。 それは、大江氏はよくこんな小説を書くものだなぁという事であります。 こんな小説というのは、大江氏自身がモデルと思われる(そのように読んでも差し支えない)小説家の家族の話で、ただ、視点(語り手)が、その小説家の娘(大学生二十歳)となっています。 つまり、娘の立場として、例えば父親に対する人物批評などが書かれているんですね。 (ただこの書き方は、このねじれたような重層性が微妙なユーモアを生み出して、なかなか悪くないですが。) とはいえ、まー、ちょっと下世話に書きますと(こんな下世話な書き方がよくないのかもしれませんが)、いわば、親父が、きっと娘はこんな風に俺のことを思っているんじゃないかと、勝手に(!)考えて書いているという形ですね。 大江氏は、自分がそんな風に書いた小説を、娘が読むことは考えなかったのでしょうか。読んでもいいと思って書いているのでしょうか。 まー、そうなんでしょうねー。(ただ、小説家の家族には、その夫なり妻なり父親なり母親なりが書いた小説は読まないという人が少なくないというような話は、どこかで読んだ気がします。しかしそうだとしたら、やはりちょっと(かなり)、嫌な思いがそこにあるのでしょうねぇ。) という風に考えていくと、同じく一人の娘を持つ父親の私としては、今回もはらはらしながらの読書とならざるを得ません。 加えて、ストーリーが、いわゆる性的な内容に及んでいるんですね。 視点である娘さんは、レイプされそうになったりします。 うーん、これって、どーよー? どういうイマジネーションのあり方なんでしょうかねー。 何と言いますか、やはりいろいろ考えてしまいませんかー。(前回の私の読書報告でも、私は「ひやひやする」「はらはらする」と書いてあります。) だって、いくら小説家だとは言え、そして小説とはフィクションだというのは一応基本的な共通理解であるとはいえ、世の中そんな理知的な人ばかりでもないでしょうにー。 やっぱり、「普通のお父さん」は、そんな小説書けないですよ。(その認識は、お前が凡人であるせいだと言われれば、まー、そうではありますがねー。) と、いうようなあたりまでは、わたくし今回の読書でも、前回の読書とほぼ同様に感じつつ読んでいました。 ただ私は、前回の読書以降にも大江氏の別作品も何冊か読んでいて、その結果前回には思い及ばなかった「認識」も持ち合わせて読みました。 その認識とは、『河馬に噛まれる』という連作短編集に書かれてあった言葉、これです。 鳴り物いりで生き恥をさらしつづけるのもな、作家の任務だぜ! これは作中人物のセリフですが、筆者大江氏にもほぼ同種の「覚悟」があるのではないかと、私は読んだのであります。 前回の読書報告にも筒井康隆が小説を書くということは、作家本人の身近な人間関係を破壊する行為であるということを書いていたと触れましたが、筒井氏以外にも、例えば文豪井伏鱒二も、小説は作家を喰ってしまうと書いています。 まー、小説家の宿命なんでしょうねー。 しかし、実は私はそんなことだけを考えて、本連作短編集を読んでいたわけではありません。 本書には、6つの短編が収録されていますが、(すべて娘さんの視点での一人称小説です)中にはちょっと難しい作品もあったりしながら、しかし全体としては総タイトル通りの心地よい「静かな生活」が描かれています。 いえ、描かれている個々のエピソードそのものは、決して静かなものではないのですが(上述のレイプ未遂事件や恐喝話など)、そんなトラブルが少しずつひとつづつ丁寧にほぐされていく様子が描かれており、読み終えてみると、心静かになるような透明感、安定感、そして未来への少しの希望を感じさせてくれます。 このあたりはやはり、筆者のとんでもない小説創作能力なんでしょうねえ。 それが最も典型的に表れているのが、大江ファンにとっては、なくてはならないたまらない「イーヨー」の言動であります。 総タイトルにもなっている一つ目の短編「静かな生活」のエンディングに出てくる「イーヨー」の短いセリフなどは、わたくし、読んでいて思わず目頭が熱くなりました。 こんな小さな、しかし珠玉のような場面があるから、大江作品は、ほかの部分が(私にとって)少々難解であっても、つい手を出さずにいられないのだろうと、うーん、小説って(小説家って)、凄いものですねー。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.06.18 16:07:54
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