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近代日本文学史メジャーのマイナー

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2024.06.02
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  『ここはとても速い川』井戸川射子(講談社)

 私は本ブログに、去年の2月に本書の読書報告をアップしています。この度また読んだのは、私が参加している読書会の課題図書になったからです。
 以前読んだときに、講談社文庫の本書を買ったので、今回もそれをもう一度読もうと思ったのですが、家のどこを探しても出てきません。
 おかしいなあおかしいなあといいながら探したのですが、どうにも出てこないので仕方なしに自転車で走って行って、少し遠い目の図書館に単行本としてあった(文庫本はなかった)ので借りて読みました。

 だから2度目の読書ですが、1年以上も前の作品だとあまり内容を覚えていません。でも1年程度前の再読本だと、読んでいるうちにあれこれ思い出していきます。
 それはそんな再読の小説だからそう思ったのでしょうか、前回は少し読みにくいと思ったお話が(本書には二つの小説が収録されていますが、特にそのうちの、総タイトルになっているほうの小説が)、とっても読みやすく、さらには「感動」までしてしまいました。

 それは「ここはとても速い川」という題名の小説で、筆者はこの作で野間文芸新人賞を受賞し、その次作の「この世の喜びよ」で芥川賞を射止めるという、まさに絶好調の時期の作品であります。

 前回読書報告をした時私は、本作品の文体はかなり工夫してあると感じ、その文体について詩的な効果があると書いたのですが、しかし一方で、やはりどうにもわかりにくい個所が少なくないとも報告しています。
 今回読んでもやはり、これ説明へたくそなんちがう? と関西弁で思ってしまうような、たどたどしかったり舌足らずに感じたりするところが、特に前半部に見られるかと感じました。
 そしてそれについて、私なりに問題意識を持ちながら読んでいきました。

 まず思ったのは、本文が、小学5年生の男子がおばあちゃんに自分の近況報告をするために綴ったノートであるという設定。(そんな種明かしっぽいことは、なんとなく気になりながらも、本作品を3/4くらい読んだところでやっと初めて明かされます。)
 つまりこの稚拙感は、小学5年生の思考や語彙力で書かれたことになっているからかと、まー、誰でもそう思うでしょうが、私もそう考えたんですね。(ただ、読んでいて、こんな語彙は小学5年生の男子の頭の中にあるかな? と思わないでもない箇所はありました。)

 しかし、最後まで読んだときに、わたくし、本当にあっと思いました。
 本作の最終盤の数ページ。主人公の少年が園長先生に訴える場面の「外堀」のようなカタストロフィーと、さらに最後2ページの「内堀」のようなカタストロフィー。

 この二か所を書くために、筆者は、文脈的には描写になっていないような「へたくそ」な一人称視点の説明文を作品中あちこちに張り巡らせたのか、伏線だったのかと思ったとき、私はほとんど鳥肌が立つように感じました。

 それを詳しく報告するには、本当はその部分を引用すればいいのでしょうが、そもそもが流れ落ちる滝のように切れ目なく描かれているこの文体では、短く抜き出しようがないので、うまくいくか、こんな説明をしてみます。
 これは有名な、萩原朔太郎の詩。

   蛙の死

  蛙が殺された、
  子供がまるくなつて手をあげた、
  みんないつしよに、
  かわゆらしい、
  血だらけの手をあげた、
  月が出た、
  丘の上に人が立つている。
  帽子の下に顔がある。

 この詩の中で、描かれている状況を説明している部分は、おそらく最後の一行だけだと思います。そしてその最後の一行は、何ら論理的な説明をしていないにもかかわらず、我々読者に、この説明しかないと思わせる説得力があると私は思います。

 本書の表現をこの有名な朔太郎の詩と全く同様に理解することはできないとしても、私は、それが説明になっていなくてもこの表現しかない、この表現こそが最も正確に描かれているのだと感じさせるものが、本小説のラスト数ページに、外堀と内堀のように描かれていると思いました。
 そしてその先には天守閣=少年の心の真実があると、強引に感じさせる文体のパワーを、私は感じました。

 実は私は、本書のような未成年者の一人称で書かれる小説には、なんというか、やや安易さがあるんじゃないかと思っていました。すべての小説がことごとくそうではないまでも、表現の拙さを一人称の心理心情のリアルであるものとして、描くべき真実にぎりぎりまで誠実に迫る表現力を放棄している様に感じてきました。

 しかし、本書の小学5年生男子の一人称は、その少年の真実の心のありようを描くという狙いに従って、最も効果を計算して採用されているのではないか(高齢で施設に入っている祖母に読んでもらうためのノート記述という設定についても)と思われ、そして力技で最後まで描き通した本作は、筆者の表現に対するある意味クールなこだわりが本物に近いものである気がして、ひょっとしたら、この作家はこの先大化けする方じゃないかなと、私は思った次第であります。


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Last updated  2024.06.02 20:12:53
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