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近代日本文学史メジャーのマイナー

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2024.06.30
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  『カンガルー・ノート』安部公房(新潮文庫)

 本文庫の解説をドナルド・キーンが書いていて、おおよそ褒めてありますが、解説文のおしまいあたりにこう書かれています。

 『カンガルー・ノート』は文字通りの前衛文学である。前衛的であるから同時代の読者に分かりかねる部分もあろう。或いは未来の読者が難なくこの小説を読んで、安部さんと同時代の批評家たちはどうしてわからなかったのだろうかと不思議がるかもしれない。

 この『カンガルー・ノート』から遡ること約20年、安部公房の新潮社純文学書下ろし特別作品の『箱男』の箱の裏表紙には、同じくドナルド・キーンがこのように書いています。

 『箱男』を読了して、私は輝くような場面の連続で頭が一杯になり、分析するよりも、もう一度読んでみたいという気持ちが強い。

 いかがでしょう。どちらもいわば「宣伝文」ですから、もちろん褒めてはいるのですが、言っていることは決定的に違っていますね。
 『箱男』については、詳しくはまだわからないけれどとても素晴らしいと書かれており、『カンガルー・ノート』の方は、素晴らしい可能性は高そうだが私には全くお手上げだ、と書かれているように私は思いました。
 そして、キーン氏がそう書いた気持ちは、憚りながら、私などの素人が読んでもとってもよくわかるんですね。晩年に向けて、安部公房の小説はどんどんわからなくなってきています。

 私の手元に安部公房について書かれた2冊の本があります。以前、もう一つのブログで紹介した本ですが、この2冊です。

  『安部公房伝』安部ねり(新潮社)
  『安部公房とわたし』山口果林(講談社)

 一冊目の本は、安部公房の一粒種の娘さんの書いた本で、公房研究の第一次資料としてとても重要な本であります。しかし、公房の最晩年については、ほとんど何も書かれていません。なぜか。

 それは、公房は最晩年、妻である安部真知と別居し、愛人であった山口果林とほとんど行動を共にしていたからであります。
 そして『カンガルー・ノート』は、そんな最晩年に書かれた小説であります。(だから、山口果林の本は、最晩年の安部公房研究にとっては、安部ねりの本をはるかにしのぐ重要な第一次資料となっています。)

 安部ねりの本に、公房が妻と別居するに至った理由について、このように書かれてあります。

 40歳を過ぎた真知にも変化があり、自己に回帰するようになり、(略)真知の中に公房に対する競争心のようなものが芽生えて張り合いたくなってきた。(略)真知の公房に対する絶対の尊敬は、かげりを見せた。

 そして、数行後にはこのようにあります。

 事実をまるで絵画のように一部強調して感じたりすることは人がよくやることだが、ついに的外れな批評家のように知ったかぶって公房の作品を批評してしまったりもした。

 で、二人は別居に至るのですが、これが原因というほど単純なものではないでしょうが(もちろん山口果林の存在がとても大きいでしょうが、安部ねりは、公房の愛人としての山口果林の存在を本文中に全く触れていませんので、このあたりはかなり奥歯にものが挟まったような展開になっています)、晩年に近づくに従っての安部作品の難解さは、わたくし思うのですが、真知氏が「批評」をしたく思うのももっともではないか、と。

 ところで「ねり本」には、公房の死後、ねり氏がドナルド・キーンにインタビューした文章が収録されていて、そこにこんなことが書かれています。

 お父さんはもちろん、一般の読者をただ喜ばせようとするなら、彼が若いころ書いていたものを続けて書いたらよかったのです。なにもそんな複雑なことを書かなくてもよかったのです。誰も考えていないようなものを書こうという野心がありましたから、読者が読んでくれないかもしれないと考えても、それでも書いていました。仮に批評家がわからないとか、つまらないとか書いても、本がよく売れました。

 ここに描かれているのも、作品の批評を完全にあきらめた上での、その作品に対する好意といいますか、むしろ作者に対する信頼、または期待のようなものが書かれていると思います。実際に本がよく売れたというのも同じだと思います。

 さて、『カンガルー・ノート』の内容に直接は全く触れずにここまで書いてきましたが、もうお分かりのように、私にも本小説の良さが、ほぼ全く分からないわけであります。
 この度私は図書館で借りて文庫本で読みましたが、家には単行本があり、出版されてすぐに買って読みました。

 その時もきっと全く分からなかっただろうと思いますが、1991年に刊行されてすでに30年以上になり、自分が読んで理解できない本について、私は、老人的硬直さを大いに発するようになってきました。
 30年前、分からなくてもきっと素晴らしい本なんだろうという理解というか、感情の動かしかたをもはや、しなくなったんですね。

 わたくし、ふと思ったのですが、書籍にも最もふさわしい出会いの時期があるという言い回しは、こういうことを指しているのじゃないかと、遠くを目を細めてみるような寂しさとともに感じたのでありました。

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Last updated  2024.06.30 16:01:38
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七詩@ Re:父親という苦悩(06/04) 親子二代の小説家父子というのは思いつき…
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