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2024.08.25
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カテゴリ:昭和期・中間小説
  『晩鐘・上下』佐藤愛子(文春文庫)

 実は本書を読んだきっかけは極めて単純な話であります。
 筆者の書いたエッセイを原作とした映画を先日見たからですね。
 基本的にエンタメの映画ですから、むずかしいことはあれこれ言わず、なかなか楽しい映画でした。で、本書のことを思い出した、ということですね。

 思い出したというのは、これは1年ほども前ですか、この上下2巻の本書を私は買ったんですね。佐藤愛子という作家については、世間に好評であったエッセイは今まで何冊か読んでいたものの、小説については全く読んでいず、ただ、佐藤紅録の娘であり、サトウハチローの妹であるとかは知っていて、それに加えてこれも少し前に、田辺聖子の本を読んだときになんとなく比べて興味を抱いた(例えば佐藤愛子は芥川賞の候補にもなりながら直木賞を受賞し、芥川賞を受賞した田辺聖子は、本当は私は直木賞が欲しかったといって、その後も一時、直木賞の選考委員をしていたなどのこと)のでありました。

 で、この度、よいきっかけだと思って読みました。
 とっても面白かったですね。その理由は、主に二つ。
 ひとつは、筆者が90歳になろうとしているということ。それは作品内容とは直接関係ないじゃないかとは思われそうですが、読みながらもその意識は絶えず頭の中にあって、私はやはりこれは一種の天才作家による作品としか思えませんでした。

 そしてもう一つは、これも直接は作品内容とは関係ないのかもしれませんが、私が久しぶりに上下500ページ以上の長編小説を読んだという事でありました。
 このことは何と言っても長編小説読書の醍醐味で、特に本書のように一人の人物の波乱万丈な半生を描いた作品を読むと、読者もその人生をそのまま追体験したような気持になって、読了後、何と言いますか、とっても大きな「達成感」が生まれるように思います。(それこそを「感動」と呼ぶのかもしれません。)

 ということで、なかなか充実した読書体験だったのですが、読み終えてわたくし、つい、分析したく思ってしまうんですね、いわばこの「感動」を。
 分析したところでわたくしのアバウトな頭づくりでは大した理屈は得られないのですが、まー、少し考えてみました。こんなことです。

 本小説は以下の二つのパートから成り立っています。それを仮にA部B部とします。

 A部→三人称で描かれる女性主人公の20歳前後からの半生記述。
 B部→老境の女性主人公が綴る形の書簡形式(一人称)記述。

 まずB部について触れますが、おそらくここが、筆者が工夫したところだと思います。なぜこんなパートを必要としたかについて、その狙いを考えてみました。

 このB部は、すでに功成り名を遂げた女性作家が、おそらくは90歳近くになって、もうすでに亡くなって久しい文学上の先生(師)に向かって手紙を書くという形です。手紙の内容は、本小説のもう一人の重要な登場人物である主人公の夫との波乱万丈の半生の出来事を思い出して綴るというものです。
 この形を取ることで、主人公の内面(感情)がとても深く書き込まれ、ひいてはそれが読者に、主人公への強い感情移入を生み出させる効果を持つと思われます。

 そして、その内面描写にある種の客観性を保証するのがA部であります。
 三人称描写のA部は、様々な登場人物の行為はもちろんその内面までが描かれ、それが主人公女性の言動に対する批判などを描くことを可能にし、作品内容の客観性・重層性を保証しています。

 しかし読んでいると、B部の存在は、私にとって微妙に違和感をもたらすんですね。
 なぜ、すでに亡くなって30年近くにもなっている文学上の師に突然手紙を書き始め、そして次々と長々と書き続けるのか、そのあたりのリアリティの保証は、私にとってはあまりありませんでした。

 ただ、筆者がこの部分を必要としたであろう理由については、いくつか考え付きました。
 それはすでに亡くなって久しい文学上の師と設定することで、
 (1)同じく小説家志望であった夫のかつての作品に対する、主人公の評価と共感が描けること。
 (2)亡くなった相手を宛先とすることで、現世的な人間関係の「めんどくささ」に及ばずに済むこと。(文中には生きている作家間の人間関係の「めんどくささ」は十分に描かれています。)

 さて、そんな風に私は、本書の構成を考えたのですが、別の書き方でまとめますと、A部で描写し、B部で説明する、といえましょうか。
 ただ、これは私の感覚的なものかもしれませんが、筆者にとってA・B部の比重は同じではなく、B部に少し重心は傾いているのではないか、と。
 言い換えれば、B部で思いのままに主人公の主観性を描きたいために、A部ではB部の主観の相対化をはかった描写をする、と。

 なるほど、500ページに及ぶ作品を読者に読み通させる技術、とそれはいえないでもない筆者のテクニックであります。90歳を迎えんとした筆者の、老いてなお研ぎ澄まされた恐るべき才能でありましょう。

 しかし最後に、これもまたわたくしの勝手な感想ではありますが(まー、いわずとも、この文章全部がそうなのですが)、上記にA部=描写、B部=説明と書きましたが、説明とは、結局のところ語り・意味づけ・解釈でありましょう。

 実は本作品が描く大きなテーマに、主人公女性の、不可解な夫の言動を何とか理解したいという強い欲求が描かれ、しかしそれは結局果たせなかったという一つの「諦念」が描かれるのですが、別にそれに引っ張られたわけではないでしょうが、私は、少しAB部共に説明(=語り・意味づけ・解釈)が多すぎるのではないかと感じました。(小説とはもう少し描写に専念するものではないか、という。)

 そのことが、私の本書の読後感に一点、不純物のような濁りの感覚を残したのも、まー、読者のわがまま勝手な「特権」感想とはいえ、ありました。

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Last updated  2024.08.25 17:57:32
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