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2024.09.22
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『箱男』安部公房(新潮社)

 安部公房『箱男』、多分4回目の挑戦読書であります。
 4回以上読んだ小説も他にないわけではありませんが、でもわたくしとしては、やはり例外的であるのは間違いないと思います。
 ではなぜ、4回目の読書挑戦になったかといいますと、それはわたくしのもう一つの拙ブログで報告させていただいております。(ちゃっかり宣伝)

 安部公房原作『箱男』の映画を見たんですね。
 見る前に読んでおこうかな読まないでおこうかなと少し迷い、結局読まずに見ようと思いました。その理由は二つあります。

 一つ目は、原作の内容をほとんど覚えていないほうが、映画が面白く感じられるんじゃないかということです。これは、よく言われることですよね。「映画化は失敗だ」なんて言われる原作付きのケースは、観客が、すでに原作から受けていた印象から自由になれないからでしょうかね、だから、映画を見るにあたっては原作はほとんど忘れているほうがいい、と。

 で、もう一つ、私の場合は理由があるんですね。
 それは、今まで3度『箱男』を読んで、はっきり言って自分のような軟弱な頭では理解しきれないと、今まで感じていたんですね。
 だからこのまま4回目を読んでも同じだろう。むしろ、先に映画を見て、そこから何かヒントを得て原作に当たれば、何か新しい理解を得ることが出来るんじゃないか、と。(ここまで書いてきて、わたくし、健気なほどに論理的ですねと自画自賛!?)

 で、読んだわけです。4回目読書。
 やはり、映画を先に見たのは、いろいろヒントになったように思います。
 映像化されたイメージを頭において文章を追うと、文字表現だけでは自分の理解に自信があまりなかったようなところについて、やはりこの読みでよかったんだ、などと思ったりもしました。

 で、どのように思ったかといえば、これは別の拙ブログでも触れましたが、やはり「箱男」というのは、ひとつの状況のネーミングではないかという事でありました。
 登場人物の手記という形をとっているので当然ともいえますが、その人物の主観による状況の説明・考察・感想などがほぼ作品全体を占めていることや、今まで読んでいた時はよくわからなかった「貝殻草の話」「Dの場合」そして「ショパン」の話なども(映画では取り上げられていませんでしたが)、比喩または寓話による「箱男」的状況の説明と捉えることが出来るように思えました。

 「状況」と書きましたが、プロットの中心となる筋は、ないではありません。ただ、その筋は、途中から執筆記録状況自体を主題とするメタフィクションのような展開になっていき、一本の筋は拡散していったように思います。
 併せて、それを書く描写は、迷宮のようになりながらも、やはり一人称の説明・考察・感想による展開で、それは「状況の説明」から離れてはいないと思いました。

 そしてやはり、「状況」こそが中心なのだと読めば、作品の冒頭と終末が、共にシンプルな箱の作り方解説になっているのも、きわめて象徴的だと私はひとつ納得をしました。

 ……と、あれこれこね回したようになりましたが、しかし、私が読んでいる最中ずっと感じていたのは、実は重苦しさでした。
 もちろんこの重苦しさには、内容を伴った意味があるのでしょうが、しかし、それにしても何とも重苦しい。
 で、ふと考えたのですが、今まで3回読んできて、やはり毎回重苦しかったはずだ、なのになぜ3回も私は読んだのか。

 一番に浮かぶのは、安部公房独特の、跳躍距離の長い乾いた比喩表現であります。
 例えばこんなところ。

 不快なしびれが、口のまわりに輪をつくる。夢の中の駆け足。

 ぼくは空気銃男が消えた後の、無人の坂道を眺めながら、こわれた水道の蛇口のような湿っぽい気分になっていた。

 或いはこんな部分は、比喩ではなく、安部公房の独壇場のシニカルの論理展開なのかもしれません。

 裸と肉体は違う。裸は肉体を材料に、眼という指でこね上げられた作品なのだ。肉体は彼女のものであっても、裸の所有権については、ぼくだって指をくわえて引退るつもりはない。

 もっとも、彼女について、まだ批評がましい意見を述べられるほど知っているわけでもない。しかし、右眼にとって、左眼についての知識が、なんの役に立つだろう。肝心なのは、とくに意識しなくても一つのものを注目することが出来、ごく自然に関心を共有し合える信頼なのである。

 ……うーん、こういう風に引用をしていきますと、安部公房の逆説的文章というものが、重苦しさを伴いながらも、いかに強靭な魅力的構造を持っているかつくづくわかる気がします。

 そして、実はわたくし、書き写していてもう一つ、ふっと連想したことがありました。
 それは、確かに描かれている細部の展開は、砂を噛んでいるようにざらついて、いわば少しも魅力を感じません。まるで無機質のようです。
 で、ここで私はふと思ったのですが、無機質の魅力って……。

 そういえば、安部公房の芥川賞受賞作『壁』にも、無機質の魅力や、無機質が大いに称讃されていました。

 で、さらに私の連想はここでまた跳んで行ってしまったんですね。
 ひょっとして、無機質の魅力は、鉱物の魅力につながってはいないか、と。
 そして、我が国の鉱物的文学の第一人者といえば……。

 私は実は、安部公房氏がその作家が好きなことを知っているんですね。
 だって、(もうお亡くなりになられましたが)一粒種の娘さんの名前が「ねり」さんですもの。

 ……『グスコーブドリの伝記』。
 ……宮沢賢治。
 ははあ、これは、魅力的なのも当たり前だわ……。
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Last updated  2024.09.22 10:48:18
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