大家とのやり取りで改めて実感した事とは:
1)男女対等。
⇒頭では分かっていた事だけど当事者になって改めて思った。
今回の口論で一番心配していたのは大家が「女のくせに生意気だ」
と凄んだり、手を出したらどうしようか、だったけれど。
それは微塵も感じなかった。「江南人」も関係しているだろうけど
妙な「男のプライド」が全くなかった。
ま、男女関係なく対等に見ているんだな、という事。
寧ろ普段は男性が女性に譲歩するくらいだし。
その意味では「女性に言われた」という事だけで激怒したり
変にすごんでくる日本人男性より話をしやすいかもしれない。
2)共通認識が「無い」と考え、言葉で意思を確認すべき。
⇒私が「大家は気前良くなった」だの「ヤナ奴じゃない」と
考えたのには何の根拠もない。勝手な想像だ。
人間なんて、そんな簡単に分かりあえるものじゃない。。
ましてや外国人。共通認識は日本人同士よりグッと少なく
私の常識や想像なんて通じない場合が多いだろう。
今まで接触があったのは親切な人が多かったけれど、それだって
正直言って私の気持ちなど考えない「有り難迷惑」な部分が多くて。
最初から「常識」や「共通認識」に全く頼らずに言葉で相互意思を
確認すべきだろう。
3)屁理屈でも、相手の反論を封じれば「良し」。
⇒正論で通せるに越した事はないけれど、正論も相手次第だ。
相手が、例えば極端な例だけど「1+1=2」を常識としていれば
話は早いけど、恐らくそれに期待しない方が良いのだろう。
勿論分かっているだろうと「共通認識」を期待して通じなかった場合、
ダメージを受けて二の句が継げないのは私だ。
二の句が継げないって事は、口論では「負け」。
ならば正論だけでなく、それを相手に納得させる説明の必要がある。
屁理屈を使ってでも捻(ね)じ込まなければいけないのだろう。
いや。
屁理屈も筋が通っていれば「正論」に変わりえるのだ、ここでは。
4)ぶつかってなんぼのコミュニケーション
嫌というほど分かっているけれど、相手の事を思いやる部分が少ない。
という事は自分の意思を表現しないと誰も分かってくれないという事だ。
日本社会は逆に相手の立場に立ち、気を回す事で成り立ってきた。
思いやり合う事が基礎となっている。
だからこそ意見の違いを嫌がる。
少しの反論にも過剰反応し手のひら返したように攻撃に回る。
それは「共通認識」に期待するからだ。
ところが、こちら(中国)は他人の立場で考える事をしないし、
自分がしないという事は他人にそれを期待していないものだから
主張一方。
口に出さないと誰も思いやってくれない事を分かっているからだ。
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きっと、これらはここの暗黙のルールなのだ。
だからこそ皆、大声出しあった後でも
話がつけば何事もなかったかのようにアッサリしている。
ならば私も、何も期待せずに遠慮なく主張すべきだろう。
*但し利害関係のある所属集団内では保身の為のあからさまな
「ゴマすり」を見る事ができる。
⇒これは会社内での人間関係にて。
あ~これは、日中共通。。
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大家とのやり取りを通じ「頭の中の想像」ではない「実感」として
上記の考えがまとまりました。
次は私が今後どう主張するのか、
その主張方法について考えました。
つづく。
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