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カテゴリ:おじさん
中学生のときの話。
音楽の先生に、「ちくわ」というあだなの先生がいた。 あだなの由来は、ずばり髪型である。 波平クラスに禿げ上がった頭を指し、自ら 「てっちゃん、てっちゃんカネテッちゃん、ちくわとカマボコちょうだいな~♪」 と歌う様は、完全に吹っ切れている。 ちくわが切れているのは、髪型問題だけではない。 その独特の授業スタイルは、いつも物議をかもし出すものであり、今なら即刻「新聞沙汰」レベルの荒業が、日常的に繰り広げられていた。 彼の故郷は、たしか広島だったと記憶している。 独特のイントネーションは我々と微妙に異なり、よく皆でモノマネをしたものだ。 「玉が上がれば声上がり~♪ 玉が下がれば声下がる~♪ 同じ玉なら同じ声~♪」 彼が新しい曲を教えるときに、決まって歌うオリジナルソングである。 この歌に基づき、生徒達は音符とにらめっこしながら、新しいメロディを覚えていくのだ。単純だがなかなかよくできた歌詞である。 また彼のオリジナル授業法の一つに「教科書に書きこみをさせる」というものがあった。 主に音楽記号に印を付け、それらを意識しながら歌うよう誘導する作戦であるが、そこに書きこむ内容がオリジナル過ぎるのだ。 例えばf(フォルテ)。 「強く」の意味だったと思うが、彼はこのfを丸で囲ませ 「ブチ生かすって書け」 と言うのである。 ちなみに「ブチ」は英語で言う[very]の意であると思われる。 このように、オリジナルな授業を行うちくわだが、正直ワタシは彼に好かれていなかった。 ことの始まりは、一年生の一学期、中学生活初めての歌のテストのときである。 それは一人づつピアノの横に立ち、ちくわの伴奏とマンツーマンで歌わされるというテストであった。 歌はさほど得意でもないが苦手でもないと思っていた私は、特に頑張るでもないが、かといって手を抜くわけでもない、自分的には人並みに当り障りない歌唱を行っていたつもりだった。 ところが半分くらい歌った頃であろうか、突然ピアノの音がピタリと止んだ。 「え?」と思い、とりあえず歌うのをやめた私にちくわは言った。 「声は小さいし、口は小さいし、表情は暗いし……この音痴!」 テスト終了である。 彼の評価基準は、音程より声量に重きを置いたものだったので、裏声が苦手(教科書に出てくるような歌はキーが高く、地声では歌えないものばかりだった)で、顎が外れそうになる為大きな口を開ける事が困難だった私は以降二年間、歌のテストのたびに 「もういいわ。この音痴!」 「帰っていいわ、音痴! 音痴!」 などと思春期の乙女のハートをズタズタにするような暴言を吐かれ続けた。その後、長い間、自分のことを「音痴なんだ」と堅く信じ、肩身の狭い思いで生きてきた私の苦痛を、ちくわは1mmでも考えたことがあっただろうか。 随分話が長くなったが、ダチョウ問題である。 中学2年のある日、突然、授業中ちくわが歩み寄ってきて言った。 「アンセさ~ん、あんた陸上部なんでしょ?」 ときどき全校朝礼で表彰状を受け取るくらいの活躍をしていた私は、しばしばこのような絡まれ方をする事があった。 「あんた、ダチョウが百メートル何秒で走るか知ってる?」 「……知りませんけど……」 「ダチョウは百メートル四秒で走るんや! あんた部活でちょっとは頑張ってるみたいやけど、どんなに頑張ったってダチョウには勝てないんだから!」 別にダチョウと勝負する気なんてさらさらない。 勝ち誇ったように教卓に戻ったちくわは、何事もなかったかのように授業を再開した。 今になって思えば、部活は頑張るのに音楽の授業では努力しない(大きな声と口が苦手だった為“頑張ってますよ”というアピール力に欠けていた)姿勢が、彼をイラつかせていたのであろう。 ちなみに後日 「どんなに頑張ったって、ライオンには勝てないんだから!」 という百獣の王バージョンでも絡まれたことを追記しておく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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