ただ人と一緒にいるということ
いらっしゃいませ、マスターの濱田です。わたしは、ショットバーのマスターとしてカウンターに立っていたことで、多くの成功者やメンターたちから、いろんな知恵を受け取る機会に恵まれました。ですが、素晴らしい知恵の数々も、当時のわたしにはすぐには理解できず、「言っていることは分かるのですが,,,」とか、「アタマではわかるのですが...」と言いながら、全然分かっていなかったということがいっぱいでした(笑)。けれど、それらの知恵は、その時はわかっていなくても、わたしの中で圧縮ファイルとして、ちゃんと保存されていて、あるタイミングになると、「ああ!あれってこういうことだったのか!」「そうだ、ホントに言っていた通りだな」って解凍されてきました。まだまだ解凍されていない知恵もたくさんあると思うのですが、たくさんの素晴らしい知恵たちが、わたしの人生に、そしてわたしの周りの人たちにも少しづつ、でも確実に恩恵をもたらしてくれています。そんな知恵たちの中でも、最近になって特に、「ホントに大切だな」って感じているものがあります。それが、「アドバイスをしないこと」、そして、「ただ人と一緒にいる」というものです。わたしたちは、誰かが悩みを話したり、落ち込んでいたりすると、なんとかその人を元気づけたくなって、解決策を言ってみたり、アドバイスをしてしまいがちです。または、「そんなことで、どうするの!?しっかりしなくちゃいけないよ」なんて言ったりします。これらは、あまりに日常的過ぎて、当たり前のことになってしまっていますが、でも、自分らしく幸せで、豊かな人生を受け取るためには、手放すことが必要なとても重要なものです。わたしたちは、困っている人や悩んでいる人がいたら、ついつい励まそうとしたり、解決策、アドバイスを口にしようとします。または、叱咤激励しようとします。ですが、相手が「明確にアドバイスを求めている時」でない限りは、これは自動的に反応している、「反応」なんだということを理解する必要があります。悩んだり、落ち込んでいたりする人をみると、ついつい元気づけたくなったり、アドバイスをしたくなる人は、なぜ自分が「そうしたくなる」のかということを理解していません。実は、目の前の人が落ち込んだり、悩んでいたり、はたまた勘違いしているのを見ると自分が黙らずにおれないというか、なにか言わないと居心地が悪くなるから、アドバイスや叱咤激励をしてしまいます。でも、自分がそんなふうに自動的な反応で、そうしたくなっているなんて知らないことさえ、知らずにいると言えます。わたしたちが望んでいることって、ホントはなんでしょう?勿論、明確に解決する意思があって、解決策を知りたい時は、アドバイスを欲しいと感じますよね。でも、悩んでいて、気分が沈んでいる時、そこから動けない時、わたしたちが望んでいることってなんなのでしょう?ただ、愚痴を言っていたい時だとか、「分からないー、分かりたくないー」っていう時だったら、アドバイスも何もされないことで、目が覚めるという体験をすることが可能になります。(気づきたくなかったら、他の人のところに行って、同じことをやるでしょうがその人が気づくタイミングを待つことも大切な知恵です)では、悩み、落ち込んでいる時は?ショックを受けているときは?わたしはそんな時、感じました。ただ、なにも言わずに聞いて欲しいなって。わたしたちは、ついついアドバイスをしてしまいがちですが、ホントにただ聞いて欲しいって願っている時に、アドバイスをされることを繰り返されたら、「ああ、この人は、自分の話は聞いてくれない」、「自分が言いたいことを話すだけで、聞いてくれないんだな」って感じて、心を開くことをやめてしまうでしょう。「与える」という言葉をきくと、わたしたちはついついなにかをしてあげることだと捉えがちです。ですが、「与えること」、「愛を表現すること」は、なにかをしてあげることでは、ないのかもしれません。ただ、一緒にいる。これも、与えることで、愛の表現だと、わたしは感じています。先日、わたしも、原因のよくわからないイライラと不安の感情の波がやってきて、何もしたくない状態になってしまいました。あまりに、不安で、なんだか分からない無価値感を感じて、悲しくなって、なにもしたくなくなってしまったんです。たいていの場合、「この痛みの感情の中には重要なメッセージがある」って知っていますので、思い腰をあげながらも、自分と向き合い、メッセージをうけとることをやります。でも、この日は、ホントに何もしたくなくなってしまったんですね。けれど、その日は週に一度のミーティングの日、行かないわけには行きません。しかも、市会議員の友人も、はるばる神戸から会いに来てくれる日です。でも、行きたくない。そこで、わたしは、チームメンバーに依頼しました。まだ原因を見極めていない、へこみ状態にいることを伝え、「なにも聞かないということを約束して」って。チームのメンバーは、なにも言わず、なにも聞かず、ただ一緒に時間を過ごしてくれました。(ちゃんと通常通りミーティングできました)そして、なにも言わず、なにも聞かないでいてくれることに、彼らの深い愛を感じました。わたしたちは、なにかをすることが、与えることであり、表現であり、愛情だと捉えがちです。でも、ただ一緒にいること、(そばにいなくても、その人と一緒にいることってできますよねそれは、深い深い愛なんだなと感じます。そして、先日のあの原因のよく分からなかった痛みのメッセージは、その生き方を受け入れることを知る、貴重な機会だったのかもって、感じています。本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。またのお越しを、こころからお待ちしております。いってらっしゃいませ。