カテゴリ:アダルトチルドレン
アダルトチルドレン(AC)という言葉は、 アルコール依存症への対処の中で生まれた言葉だという。 アルコール中毒の親を抱えた家族の中で 様々な生きにくさを背負っている子供たちにつけられた呼び方である。 今は、アルコール依存に限らず、 家族としての機能が果たされない家庭で育った、生きにくさを背負った子供を総じて指す。 その言葉の発祥の地アメリカでは、暴力の虐待や性的虐待によるものが多いが、 日本では愛の名を借りた支配という精神的な虐待によるACが多い。 信田氏は言う。 ACの回復のために、 アメリカでは、 怖くてつらい毎日を命からがら生きた小さな自分を 大人になった自分が抱き締めて癒すことを大事にするが、 日本では愛の名のもとに巧みに支配し操った親をイメージの中でやっつけ、 私は私の人生を生きるんだ、親の希望どおりに従う生き方をやめるんだ、 それは親不孝でも何でもないんだと認識し、自分を取り戻す方法が適していると。 我が家もまさに、 親の都合にあわせた、時には親の責任まで代わりに背負うのが子の務め、 それこそ親が自慢できる優しい子供だとばかりに、真綿で首を絞めるがごとく、 自分の生き方を模索する機会を取り上げられ育てられたと思う。 私だけでなく、弟たちもそうだと思う。 私はEMDR療法で、 何でも先回りして人のためにあくせく焦りまくる必要がないことを知り ずいぶんと日常生活が楽になったし、 母に絶えず言われていたほど、体が弱くて何もできない私ではなかったことに気付いた。 ほんとは甘えたいのに、母に誉めてもらいたくて、 頑張って頑張って母の手助けをしないでいられなかった私だけど、 そんなに頑張っても、誉めてくれるどころか、 まだまだ足りないと言って、50を過ぎてもまだお守りを求められて、 あぁ、ばかばかしいと思えた。 あれはあれで、すごく効果的なものだった。 でも、今、それだけじゃ解決できないものに直面している。 まわりが望むことを先回りして引き受けようとする生き方、 自分が何をしたいかわからないけどまわりが喜ぶことにあわせていこうとする生き方、 これを変えることがとても難しい。 母と距離を置いても、マツさんに支配されそうになる。 父のために尽くしたくなる。 子供たちのために奔走したくなる。 夫に甘えたらお返しに従わないとならない気になる。 いつも他者のために自分の行動を決め、 他者に喜んでもらうことのために自分を無理強いする。 誰もいなくなったら、 何も困難がなくなったら、 私は何を喜びにするんだろうか。 誰かに振り回されることなく、 何かの役に立つことがなくても堂々として、 ゆったりと時の流れに身を任せて笑っていられるように 私は、なるんだ! そうなる日をめざして、今は、てくてく生きるんだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月01日 18時27分37秒
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