カテゴリ:アダルトチルドレン
年に一度、高校時代の友人ヨウコが帰省する日に合わせ、ミドリと3人でランチをとる。
半世紀生きたお祝いをしたのは一昨年。 そんな年ごろだと親が病に倒れたりして、 みんなそれぞれ離れて暮らす親の看病に通った話になる。 ヨウコもミドリも、お父さんの最期を看取った時、 病床で思いのたけを話すことができて、悔いなく送ってあげられたと。 夫を亡くした後のお母さんがだんだん弱ってくることへのいたわり、 やさしい思いやりがあふれる二人の言葉。 老いていく親への暖かい思いがあふれてくるような話を聞いていたら、 やはり私は「普通」じゃないかもなぁ…と感じた。 三途の川から奇跡の復活をした父が歩く練習をはじめたとか、リハビリ病院に移るとか、 そういう中でも私はまったく、一緒に喜んだりする感情が湧いてこないんだよね。 母が奇跡の回復をとげてリハビリを頑張ってた時は、 我が子の成長を見るように喜んだものだけど。 カウンセリングを受けて、親子の関係を見つめなおしてみたら、 「親たるもの」の幻想がぶち壊れてしまったせいか、 何だか愛情が枯れてしまった感じ。 父と母が面倒な存在でしかない。 カウンセリング、受けたこと、私は確かに楽になったけど、ホントによかったのかね? 年に一度会うだけだが、高校卒業した頃よりも、 お互いの気持ちがよくわかるようになっていることが、とても不思議。 時空を共有しなくても、 想像する力、思いやる力は、人間関係の根幹なのかもしれない。 たぶん、親子でも同じ。 子の気持ちを思いやることがなければ、どんなに善かれと思って与える言葉も、 独り善がりに終わり、通いあう感情は生まないのかもしれない。 そんなことを考えながら、新幹線の停まる駅からの帰路に着いた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年11月23日 12時36分22秒
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