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2010年11月27日
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カテゴリ:
魂の虜囚~オウム事件はなぜ起きたか~江川紹子


筆者の江川さんは、元々は、新聞記者。
松本サリン事件(1994)地下鉄サリン事件(1995)よりだいぶ前に起きた
「坂本弁護士一家殺害事件」(1989)のときから、ずっとオウムを追い続けている。
教祖浅原が逮捕され、「ああ言えば上祐」なんてテレビが騒いでいたころから
「オウムウォッチャー」としてマスコミに登場することになる。
オウムのほか、冤罪や平和に関しても、熱い心意気のルポを丁寧に著している。


この本は、江川さんが、オウムを追い続けた証人の一人として、
さまざまな角度から事件全体を見つめ直した集大成ともいえる膨大な記録。


古い本で、今さらなんだけど、なぜか、あらためて読んでいる。



地下鉄サリン事件の裁判、一つ一つを傍聴している江川さんは、冒頭にその様子を書く。

サリンによる被害者の家族が証言に立つとき、
証言の最期に検察側が「被告に与えたい量刑は?」と問う。

「死刑だとか、そういうことを言うと、私の一言でそういうことに導かれるとすると、
 私も殺人という犯罪に関わるような気がして、簡単には言えない。
 複雑で、非常に答えづらい」という被害者家族Cさんの言葉。

『他人の生死を決するという重荷を、被害者に負わせないで欲しい、
 それでなくても被害者は十分苦しんでいるのだから。
 Cさんの語り口は穏やかだが、
 心のなかではそう叫んでいるような気がしてならなかった。』

と書いている。



江川さんは坂本弁護士殺害事件のときから検察に批判的だし、
裁判所の出す冤罪判決にも丁寧に取材し問題提起をし続けている人にもかかわらず、
裁判員裁判には諸手をあげて賛同を示さない部分がある。


その背景は、こういう所にあるのかな…と感じた。

私もそう感じる。

司法に市民感覚が加わることは大賛成。
だけど、そのために、何の関係もない市民や被害者が重荷を背負うことは
どうしても納得いかない。



「上から指示されたので仕方なかった」
「上に聞かないとわからない」という言葉でごまかそうとする警察にもオウム幹部にも、
江川さんは問う。
「あなた個人としてはどうなのか?」と。


地下鉄サリン事件で夫を失った高橋さんの言葉
「私たち遺族は、事件そのもので泣かされ、司法解剖で再度泣かされました。」
「今の段階で聞かれれば、『死刑を望む』といわざるをえないけれど、
 そう証言してしまえば、私は将来後悔することになるかもしれない。 
 主人の命をないがしろにされたからこそ、人の命についてもっと慎重になりたい。」


被害者でありながら、当初まるで犯人のような扱いをうけた
松本サリン事件の河野さんの言葉。
「被告人が犯人なのか、私には分かりません。しかし、自分自身では100%分かるはずです。
もし被告人が犯行に関与したのであれば、事実をありのままに言っていただきたい」


何度も何度も脱走に失敗しながらも命からがらオウムから逃げ出した脱会信者A子さん。
繰り返した脱走のたびにA子さんをなんとか助けようとして手を貸したのは、
反オウムの活動をしている地元の人々だった。
オウムという組織は憎んでも、そこで苦しんでいる信者を救おうとする人間のその感情。



ほんの10分の1程読んだだけだが、オウムに限らず、
教育や医療の現場や、政治や国どおしや、領土や宗教やをめぐる紛争や。

どこに突破口があるのだろう?と頭を抱える諸問題につながるものがないだろうか?



この本は、長いので、きっとまた言いたいことが出てくるんだと思う。
それはまた、機会があれば…。









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最終更新日  2010年12月01日 15時10分59秒
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