カテゴリ:アダルトチルドレン
ビールの宣伝で昔の深夜放送の曲が流れる。
走れ歌謡曲だったかな? 中学生のころ、朝の5時まで聞いていた。 8時に寝て3時に起きる爺ちゃんとの共通話題だった。 バレンタインてのは何だ?と爺ちゃん質問してきたっけ(笑)懐かしい思い出。 自分が一番の両親の機嫌をそこねないように、 ひたすら尽くす生活の中で 爺ちゃんだけは淡々と目立たず実直に 孫たちを一番に陰から守ってくれていたように思い出す。 暖かい記憶。 爺ちゃんは親に捨てられ、子供ながらによその下働きをさせてもらいながら生きてきた。 どうしても学校に行きたくて、東京に出て、働きながら夜間高校、大学に通った。 疲れて眠くなったら尖らせた鉛筆で太ももを突き刺しながら授業を受けた。 爺ちゃんは田舎の誰かの紹介で婆ちゃんと結婚して子供をもうけた。 「あの娘が山の向こうから俺のところにやってきた…」って 死ぬ間際の朦朧とした意識で私に話したっけ。 戦争が終わったら、爪に灯をともして貯めたお金で家を建てた。 駆け落ち同然に嫁いでしまった娘に子供が生まれた。 家を捨てたはずの娘は、住まいと子守を求めて、 夫と生まれたての私を連れて帰ってきた。 父と母は爺ちゃんの営む小さなアパートに住み、私を婆ちゃんに預けて仕事にいく。 大学を出て1年目の新米教師は仕事が楽しくてしかたない。 爺ちゃんは会社から帰ると孫を膝に抱いて、 庭の葡萄で自分が作ったワインをショットグラスにつぎながら晩酌をする。 7時きっかりに帰ってくる爺ちゃん。 5時に会社が引けた後、駅前のパチンコ屋できっちり7時5分前までパチンコをする。 婆ちゃんは退職した後までパチンコのことは知らなかったという。 それほどに生真面目な日課。 無口な爺ちゃんはいつも掘りごたつに座り、背中の戸板に寄り掛かり、 大好きな相撲とプロレスを観るときだけ、 テレビにむかって声をあげ、手をたたいて応援していた。 爺ちゃんは3人の孫の幼稚園の送り迎えを一人でやりきった。 爺ちゃんと離れられないツギオのために幼稚園の部屋に自分のコートを引っ掛けて、 まだ幼稚園にいるような芝居をして寒空を帰っていた。 爺ちゃんはいつもラジオを聴きながら、 毎朝こたつの炭を起こし、夕方には風呂を炊く薪を割った。 島倉千代子が唄うたびに 「この子が出てきたときにはあまりに可愛い声で感心したもんだ」と言っていた。 爺ちゃんは交通事故で足を骨折した私を、 子連れ狼みたいな改造乳母車で学校まで連れていってくれた。 音楽室や理科室に移動する時間には背負うために学校まで来てくれた。 ラストエンペラーが死んだとき、 爺ちゃんは目をつむって「溥儀が死んだか」とつぶやいた。 ツギオがグレてた高校時代、 夜中にバイクの二人乗り事故を起こし、運転していた友達が死んだ。 目の前で頭がつぶれた姿を見てしまったツギオは怖くて眠れなくなり、 高校に行けなくなり退学した。 神も仏も信じない爺ちゃんが、その時は毎日ひそかに高島易断に通って祈っていたらしい。 母の弟が、土地を半分くれないなら親の面倒は一切みないと宣言した翌日、 爺ちゃんは脳梗塞でねたきりになった。 婆ちゃんは朝から晩まで病院に通い、最後は家に連れてきて、 高校生のスエオが痰の吸引まで看護婦さんに習って、 婆ちゃんと二人でつきっきりで看護した。 私とツギオは青春真っ只中で遊び惚けていた。 そして、月の明るいお彼岸の夜、爺ちゃんは死んだ。 爺ちゃんの座っていた後ろの戸板には爺ちゃんの頭の油が丸く残っていた。 爺ちゃんが死んだとたんに惚けてしまった婆ちゃんを看るために、 あの家は取り壊されて父と母の家が建てられた。 そこで父と母は仮面夫婦となり、爺ちゃんと婆ちゃんが繋ぎ止めていた私の家族は崩壊した。 父も母も、今はもうそこに住むことができない。 ビールの宣伝の音楽が爺ちゃんとの思い出をドラマのように引き出してくれた。 これが父母と離れて爺ちゃんに育ててもらった私の子供時代です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年02月27日 12時09分09秒
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