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2011年03月10日
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カテゴリ:父の様子



姥捨て山。
今は手に負えなくなった老親を子が施設に入れる時などに、
たいそう悲惨な状況を表す言葉。

しかし、まだ人の寿命が短かった頃、
長生きしてしまった親は、これ以上子の世話になることを終わりにするべく、
自らその山に入る習わしのある地域がたくさんあったという。

歩けない親なら子が背負い山に登ったことから姥「捨て」山と言われるのだが。


親というものは子の生活を圧迫してまで世話をかけることを何より嫌う。
自ら引き際を選択したいのである。

生物として次の世代を産み出し、生き延びさせるのが「親」の本能。
人間の暮らしが豊かになり、
目上を敬うとか家族を守るというような倫理感が広がったから、
姥捨ては非情なことのように思われるようになったが、
そもそもは、次世代の繁栄のための引退という意味なんだろう。

姥捨て山があったころでも、
豊かな家族や集落では山に登らずに畳の上で天寿を全うした老人もたくさんいたわけで。


私が老親介護の当事者になってしばらくして、切羽詰まって自分の健康に危機がきた。

姥捨ての罪悪感に絡めとられて逃げ出せない。
他人に「無理するな、自分と子供を一番にしなさい」と言われるたびに、
罪悪感が立ちふさがってなお苦しくなった。

9ケ月のカウンセリングの中で劇的に変わったのは、

人はまず自分の生に責任を持てばいいって思えたこと。
我が子への責任は最優先だけど、
親への責任は持たなくて良いのだと思えるようになったこと。

だからって姥捨てをするわけでもなく、できることはやる。
少し無理しても、やる。

でも我が子と自分のことを犠牲にするまではやらない。
その線引が堂々とできるようになったこと。


これは、親介護にかぎらず、職場や地域の人間関係にも劇的な変化をもたらした。


人はみんな、自分のことは自分で責任を持つのがあたりまえなんだ。


でも、現代は長生きをする。
死にそうな場面でも助かってしまう。
加えて、働き盛りの世代は生活にゆとりがない。

そんな時代、姥捨て山にも連れていってもらえず、
子の生活を脅かしても生かされてしまうお年寄りがたくさん苦しんでいる。

姥捨てができず、食い盛りの我が子もかかえ、自分を壊していく世代がたくさんいる。


これはもう、「親を敬え」とか「親の面倒見は子の務め」などという
倫理感を振りかざすだけではみんなが行き詰まってしまう。

そのスキマは、やっぱり政治がうまく埋める方策を考えてほしいものだ。


政治が方策を出してくれるのを待っていられないから、
壊れる寸前ギリギリで生きてる人がたくさんいる。

そういう人に言いたい。

お母さんは不憫だけど、責任はあなたにない。
世話をかける息子は気の毒だけど、生き延びてしまったお母さんに責任はない。

自分を責めることはない。

お互いに相手のせいにも自分のせいにもせず、
みんなができるだけのことをして、
ありがとう、ごめんね、っていいながら生きていくしかない。

自分が壊れないってのが最低限の境界線。












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最終更新日  2013年08月13日 22時07分31秒
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