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カテゴリ:映画・ドラマ
標的の村
を観てきました。 〜スクリーンに叩きつける、伝えきれない沖縄〜 2012年9月29日。 アメリカ軍・普天間基地は完全に封鎖された。 この前代未聞の出来事を「日本人」は知らない。 とチラシに書いてあります。 68年に渡って沖縄は沖縄の人同士で闘わされてきたんだね。 何度も何度も日本政府を信じて騙されて、沖縄の人同士が切り裂かれてきたんだ。 座り込みを取り締まるおまわりさんも、工事を請け負った業者の人も、 基地のおかけで仕事を得て暮らしている人も、みんな沖縄の人。 私にはそれがつらかった。 1963頃、ベトナム戦争のために、米軍は沖縄高江の村人をベトナム人に見たてて、 ベトナムの帽子と衣服を着せてベトナムの家屋を建てて、 ヘリを飛ばし軍人を降ろし、村人をあぶり出し征圧するための訓練をした。 そこには幼児も「徴用」されていた。 高江が孤立した村落なので知られる事が少なかった。 ベトナム村で訓練に参加した米兵の証言 「自分はベトナム戦争には出征していないのに、枯葉剤の後遺症があり 手術をしたりして大変苦労した。それは沖縄の訓練地に枯葉剤を使って草を枯らしたから。 枯れた草を始末したのは沖縄の住民。自分よりもっと後遺症が出たのではないか。」 オスプレイの沖縄配備が1992年から計画されていたということがわかる文書の存在にも驚いた。 また、辺野古の基地が住民の反対と折り合いながら計画を変更してきたかのように思っていたが、 実は折り合いの案は当初の案と酷似していたという。 この辺の史実や情報は、映画の中では、流れが早すぎて理解しきれなかった。 沖縄中の人々がオスプレイ配備に怒り、普天間基地を封鎖する。 しかし、実力行使で開場させられ、予定通りオスプレイは普天間に降り立つ。 簡単なもんだね。どんなに反対していても簡単に飛んできちゃった。 と絶望する人々。 人にはいろんな形の絶望があるんだね。 絶望過ぎて笑いが出ちゃうような絶望があるんだな。 そして、絶望しても、また寝て起きてご飯を食べて働いて怒って笑って生きて行くんだな。 それでいいんだな。って思った。 そして諦めないでまた明日を迎えるんだな。 と、そんなことも感じた。 私が中学生の5月15日に沖縄の返還が実現し、その日の気持ちは今も鮮明に覚えている。 沖縄を返せ!という歌を歌いデモもみていたから、本当に歴史が変わるとまで思った。 しかしベトナム戦争と日本米軍基地の関わり、その後の基地を巡る事件や事故が私に疑問を突きつけた。 日本の中にあって、日本の言葉を使い、日本の政治の元におかれ、日本の法律を遵守する沖縄。 レジャーで行く時には関心を持つが、私たち東京(本土というのかな)の人間は いったいどれほど沖縄に関心をもち、その歴史を知っているのだろうと、しみじみ思う。 この先も、ずぅーっと、海月ちゃんがつぶやいた通り、 闘いを子供たちがひきついでいく。 終わらない映画です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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