テーマ:旅のあれこれ(10283)
カテゴリ:歴史・旅・散策
怒涛!法事旅~吉川一族編・北広島の部~の補足駄文であります。
吉川元春館跡周辺は、岡山の3時間弱滞在より短い時間での、まさに超ササッと見学だったのでありますが…。 一瞬の、得難い邂逅…という雰囲気もありまして、その折のインパクトは、どの史跡よりも鮮烈な印象を残しております。 とりわけ、最初に、容姫こと容光院墓所にお参りできたこともあってか、その後の、急ぎ足での吉川元春館跡見学の折も、「元春様、申し訳ありませぬッ!!」とお詫びしたくなるほど、しばし脳内、容姫のことばかりで…。 広々とした館跡見学するうち、随所にある案内板の一つに、そこから出土した土製・子犬の安産お守りの写真があるのを見て、上手く撮れないような気もしつつ、写真をば。 その折は、「わ~♪子犬のお守り、カワイイ~~♪♪」くらいの気持ちだったのでありますが…。 その後、この日記後半でも騒いでおりますように、史料館『戦国の庭歴史館』において、ボランティアガイドさんから、眩暈がするほどウットリなご教示の数々を賜るうちに…。 なんと!!上記、子犬の安産お守りの持ち主が、容姫その人であることをお教えいただいたのでござりまする!!! そして!!その折、まさに目の前には、館跡から出土した、件のお守り子犬の実物が展示されておりッッ!!! …も~。 感激のあまり、涙目となってしまい(今も思い出しウルウル)、ガン観しようと思えば思うほど、輪郭がぼやける子犬のお守り…。 今、冷静に思い起こしてみまして…。 名も伝わらず、悲劇の中に命を落として行った幾人かの『宇喜多の姫』の中で、『所持品』が残っているのは、この容姫だけではないのか…と。 そして思うのは、『安産のお守り』を持っていた…ということで、推察してしまう、容姫が亡くなった原因…。 嫁いで2年、待望の懐妊で喜んだのもつかの間、妊娠中の体調不良か、難産によって、母子もろとも命を落としてしまったのでは…と。 吉川広家が抱いたであろう深い悲しみと喪失感には、想像が及ばない気持ちです…。 容姫を喪ってほどなく、彼女との思い出でいっぱいだったこの地を離れ、月山富田城へ移る事になったのは、広家としては良かったのやも知れません。 ひょっとして、容姫のことを思い出すのがつらいから、あえて宇喜多と疎遠になって行ったのかも…というのは…。 妄想のし過ぎでござりましょうな…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年12月06日 08時21分32秒
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