テーマ:本のある暮らし(3315)
カテゴリ:書籍
FBページからの流用更新、ご無礼いたします。
こんにちは。 こちらはまた長々の更新おサボリあいすみません。 昨日はツイートのみで、ちゃんとした感想文Upをしないままだったのですが…。 漫画版「前田慶次道中日記」の企画原案をしてくださった今福匡さんより、畏れ多くも、ずいぶん前に賜っていた「真田より活躍した男 毛利勝永」。 仕事漫画の仕上げ作業が一段落したところですぐに拝読開始。例によって、己の基礎知識の乏しさに苦悩しつつ読了いたしました。
読了後しばらく経ってしみじみ思ったのですが…。 毛利勝永さんも、真田信繁さん同様、父上世代が過ごした時代こそ『ザ・戦国』という雰囲気ゆえに、知れば知るほど、父上世代の逸話のほうに興味が行ってしまいがちに☆ 毛利勝永さんの場合、秀吉全盛期は子どもから少年へ…という時期ですので、秀吉周辺のキャラ濃過ぎ武将たちと実際交流したのは、父上である毛利吉成さんのほう。 吉成さんは秀吉政権が固まりつつある頃、その中枢で重きをなしていた一人…という風情で、ある逸話から黒田一族と仲悪そう…という印象を受けたのですが、軽く派閥争いしてたのかも…と思ったりしました。(妄想) 吉成さん勝永さんの『毛利』姓、安芸毛利一族とは血縁が無いので、まったく無関係…と思いきや、元々の『森』から『毛利』の字になる過程で、安芸毛利一族との意外な交流が。(なんと、主に吉川広家さんと♪) だいぶ前に読んだ「秀吉の接待」で、テルさんこと毛利輝元さんの上洛(秀吉への、事実上の臣従)に尽力したのは黒田官兵衛さん…と認識していたのですが、ひょっとしてその辺りでも毛利吉成さんとの手柄争いみたいになってたのかな…とも思いました。(妄想) それはそうと、56ページのテルさん上洛での飛鳥井邸訪問の座次図版に、当時11歳の勝永さんの名が、そうそうたる面々のなか記載されており…。勝永さんがかなりの『エリート子息』だったことが、よく判りました。 勝永さん、ほんに、世が世ならば(豊臣政権が安泰のままであれば)有能な譜代重臣の一人として名を残した気が。 勝永さんご本人もお気の毒ですが、大坂の陣が初陣だった彼の嫡男・勝家くん16歳が、あまりにも哀れで…。 戦場で交わされた父子の会話、その場にいた家臣の一人が後の世に伝えた…とのことですが、読み返す度に涙腺決壊…。 (詳細はぜひ書籍で!) あとがきで、この御本そのものが、みなみさんこと有川淳一さんの情熱がきっかけとなっていたことが判りました。 情熱こそが、すべてを動かすのだな…と、改めて敬服しきりに。 (明石掃部様への愛が、まだまだ足りないと自覚のタナベ☆) 毛利勝永さんには、お墓そのものが無い(明石様も伝承のお墓しかありませんが)…とのことですが、みなみさんの情熱こそが、一番の供養に…としみじみ思いました。 話はややズレますが、研究者さん達の『○○様よりご著書新刊のご恵贈にあずかり…』ツイート、常日頃カッコいい…と憧れているのですが…。研究者でない私がやるのはおこがましいに違いない…と、時おり拝領の栄に浴しつつも、控えておりました。 が、こたびばかりは漫画版「前田慶次道中日記」の作画をさせていただいた者として、堂々とツイートして良かったはず…むしろ、するべきだったはず…と、今さらの反省を。 (さらにご恵贈にあずかれるような身分になりたい…と画策) …自分で文字ばかりの真面目な研究書籍を出すのが無理なら、みなみさんのように、あとがきに名前を出していただけるような情熱ある活動をすべきかも♪ …いや、なにか、挿絵的なもので貢献するほうが建設的…。 漫画版○○お仕事なれば、もっと嬉しい…。 などと、話題ズレまくりになって参りましたゆえ、これにて。 ↓引き続き、何とぞよろしくお願い申し上げまするーー!!
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最終更新日
2016年05月21日 11時24分18秒
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