あの夜から。
あきらかに態度がおかしくなっている麻衣のことを、
俺はたんに照れているのだと思って、
たいして気にもとめていなかったかもしれない。
以前のように、強引に体をおしつけられるようなこともなくなり、
恥らう態度が、かえってかわいらしいだなんて感じてさえもいた。
だけど。
「ただいま・・・麻衣?。」
俺が帰ってきてもキッチンの冷蔵庫の横にはりついたままで、
顔すらあげない彼女を見つけ、
近付いていくとその小さな体は、
まるで全身で拒絶しているように見えてしまった。
なにもわからない麻衣に、
つけいるように手をだしてしまった俺のことを。
「・・・どした・・?」
返事を聞くのが怖かった。
顔も見たくないとでも言われたら、
俺は一体どうするつもりなんだろう。
「もう、嫌か・・。
俺と一緒にいるの、やめたい・・?」
身をかがめてつい、そう言ってしまう。
答えを待つことが出来なくて、
危険な質問を口走ってしまった。
これでは、まずい答えをされた時にごまかすことも出来ない。
内心ドキドキしながら、
うつむいたままの彼女を凝視していると、
やがてゆっくりとその白い顔をあげてくれた。
表情はなにか思いつめているように暗く、
よく見ると、目にはうっすらと涙がたまっているようだ。
「お兄ちゃん。」
かすれぎみの声を発すると、
ますます涙目になってしまい、
それを拭おうとした手は小刻みに震えている。
「・・・麻衣。」
彼女が何を考えているのかはわからなかったが、
俺はそっと、その髪に触れてからゆっくりと、
冷蔵庫にぴたりとくっついたままでいる、
麻衣の後ろに寄り添った。
制服を着たままの小さな体は、
まるでたった今まで外にいたように冷えている。
「お兄ちゃん・・・今の人、誰?」
無意識で彼女の頬にでもキスをしようとしていた俺の耳に、
突然麻衣のハッキリした声が響いた。
「今の人?」
いつもよりも遅くなってしまった今日。
俺は車で来ている人に送ってもらったのだった。
彼女は大学の研究室の同僚だ。
「ヤなの。」
顔だけをこちらにむけて麻衣が言った。
「お兄ちゃんが、他の人としゃべったら嫌。」
涙まじりの声で、
真剣に俺にうったえる彼女の顔をポカンと見つめて、
なんだ。
俺は拍子抜けした。
「お兄ちゃんは麻衣のなのに・・・。」
ぽろぽろとこぼれてしまっている涙は、
あとからあとから続くので、
彼女の小さな手では受け止めきれていない。
俺はポケットからタオル地のハンカチをとりだすと、
親が子供にするようにそれを拭ってやった。
「麻衣だって俺じゃない人と話するだろ?
そんなに泣かなくても・・・
俺だって麻衣のことすごく好きだよ。」
言い聞かせるように俺が言うと、
「ほんと・・・?」
クリクリした瞳で俺の顔をみあげている。
「心配しすぎだよ、ヤキモチも。
一緒に暮らしてるし、前よりも仲良くなってるだろ?」
もちろんあの夜のことも含めていた。
顔がニヤニヤしてしまうのが自分でもとめられない。
うれしいのだから仕方がない。
「また笑ってる・・・。」
拗ねた顔で頬をふくらませて、
彼女は最後の涙を俺からとりあげたハンカチで拭っていた。
機嫌をとるようなふりをして、
さっきからしたかったキスを何度もしてみる。
じゃれあっているとやがて唇も、ちゃんとゆるしてくれた。
俺だって心の中ではいつもとりみだして、
みっともなくうろたえまくっているんだけど、
麻衣、君の目に俺はとても余裕があるように、
うつってるんだろうね。