とおりすがった縁。
ある街を歩いていたら修行中と貼紙して「幸せですか?」と大声で叫んでいました。 気宇泣きがして立ち止まって聞いていたら、本人自身が幸せになりたいだろうなぁ。でも発する言葉に心がないんだなぁ。 逆に「あなた幸せなの。」と問いかけたくなるのを抑えて道を歩む、考えるに強制された宗教でも幸せに慣れるかもしれないが そういう宗教にはなんか納得できないね。自ら求め苦しみ、でもなるかならないかもしれないのにただ求めも病になって、もしかしたら死ぬかもしれないでもその実感は全然なかったでも死んでも満足だと思ったときから開けてくるかもしれないそういう修行とは考え方も違うと言う違和感があるね。 遠回りしてもいたどりつく道は同じだろうからこれも運なのか因縁なのかなぁ。