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カテゴリ:脳・認知症・アルツハイマー・脳梗塞・血管
本当は怖い過程の医学(診察日:6月30日 )より
私なら救える!絶望の淵から患者を救う名医スペシャル 『本当は怖い膝の違和感~盛田幸妃さんの場合~』 盛田幸妃さん(男性)/28歳(発症当時) 野球選手 横浜ベイスターズがまだ大洋ホエールズだった時代、大魔神・ 佐々木主浩投手とともに、ダブルストッパーとして活躍した盛田幸妃さん。 その後、大阪近鉄バファローズに移籍した彼は、 1998年5月、大阪ドームでの試合中に右膝に妙な違和感を覚えます。 その翌月、眠りについたとき、右足首が突然震え出した盛田さん。 その後も異変は続きます。 突然右足がなくなったかのように膝下の力が抜けてしまったのです。 でも盛田さんは異常を隠していました。 痙攣が起き始めてから2ヶ月後 病の存在は隠すことのできないレベルになっていました。 右足の激しい痙攣を見た奥様が 受診をすすめました。 しかし 足に異常はなし。 この頃には日に3~4回は 右膝下の痙攣に襲われていました。 この状態でも異変を球団に隠し試合に出続けました。 1998年8月、マウンド上で痙攣が始まってしまった。 ついに精密検査を受けることとなりました。 1)右膝の違和感 2)右足首の痙攣 3)右膝下の力が抜ける 4)右足の激しい痙攣 病名 ⇒ 髄膜腫(ずいまくしゅ) <なぜ、膝の違和感から髄膜腫に?> 「髄膜腫」とは脳腫瘍の一種で、 何らかの原因で脳を守る膜から生じる腫瘍のこと。 腫瘍が圧迫する脳の場所によって、様々な症状が起こります。 盛田さんの場合は、前頭葉の一部、 右半身の運動を司る運動野に腫瘍ができていました。 そのため、右足膝下に痙攣などの異常が出たのです。 しかし、髄膜腫のほとんどは良性で転移することはなく、 手術で取り除くことができれば予後はいいと言われています。 なぜ腫瘍ができるのか、詳しい原因はまだわかっていません。 ただ、20歳以上になると1万人に1人の割合で発症すると言われています。 ◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 盛田さんは簡単に考えていました。 脳にできたおできを取ってしまえば 2週間くらいで現場復帰できるに違いないと 病を完全に侮っていました。 ところが医師から告げられたのは… 「最悪 車椅子になります」 「野球選手としてやっていくとこは考えないほうがいい」 この医師が当時 横浜南共済病院脳神経外科部長だった 桑名信匡先生(現在は東京共済病院院長) 脳腫瘍の摘出手術だけで600例以上 の経験をもつ 脳神経外科のエキスパート。 厳しい宣告をするのはわけがありました。 盛田さんの腫瘍には、2つの深刻な問題があったのです。 1つ目の問題は、上矢状洞(じょうしじょうどう)という 髄膜の中を通る太い血管の壁から腫瘍が発生していたこと。 この血管を傷つければ、すぐに大出血を起こします。 2つ目の問題は、運動野の真ん中に腫瘍ができていること。 そこは野球選手にとって命ともいえる運動機能を司る場所。 わずかでも傷つければ、確実に後遺症が残ってしまいます。 盛田さんの腫瘍は少しも傷をつけることができない箇所に囲まれていたのです。 手術では、なんとしても太い血管と運動野を守らなくてはなりません。 そこで、腫瘍を少しずつ切り離し、その隙間に綿を挿入。 太い血管と運動野を守りながら 腫瘍を摘出していく方法がとられることになりました。 これを幾度となく繰り返し、ようやく腫瘍の全摘出ができるのです。 しかし、盛田さんの腫瘍は脳の中心に達しそうなほど巨大化し、 手術は途方もなく長く、大変なものになることが予想されました。 ◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆ 手術が行われたのは、1998年9月10日 まず脳を露出させるために、頭蓋骨にドリルで穴を開け、 それを線でつなぐように頭蓋骨を切り取ることから始まりました。 上矢状洞から腫瘍を少しずつ切り離します。 この時、桑名先生が使うのが、 第一のワザ「バイポーラピンセット」と呼ばれるもの。 先端に電極がついているピンセットを使い、癒着した腫瘍を焼いて切り離します。 第二のワザは、「手術顕微鏡」 高さ2メートルの巨大な顕微鏡を使い、患部を12倍にまで拡大しながら 数ミリ単位の作業をこなす集中力こそが、先生の真骨頂です。 30分以上かけ、癒着部分を5ミリほど太い血管からはがしたら、綿を挿入します。 こうして少しずつ、太い血管の安全を確保。血管と腫瘍の境界を明確にしていきます。 そして第三のワザが「超音波手術器」 機械内部で発生する超音波が、1秒間に2万5千回もの振動を腫瘍に与えると、 腫瘍は液化し吸い取れるようになるのです。 とはいえ、1時間で吸い取れる腫瘍の深さは、およそ1cm。 太い血管を守りながら繊細な作業を続け、ようやく腫瘍が姿を現しました。 そして、ついに10時間に渡った腫瘍の摘出手術は、無事成功。 盛田さんはその後、1年に及ぶリハビリを経て、マウンドへの復活を果たしたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.07.10 20:51:44
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