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カテゴリ:心の中
父は、酒を飲まない日はない。若い頃から、今も毎日。 そのせいか、普通より老化が早いようで、神経質で几帳面な父には以前だったら絶対ありえないような、完全な物忘れが数年前から少しずつ増えてきていた。 東京に来てからは、母から、どんなおかしな行動があったかなど、折に触れ具体的に聞かされてきた。 長野に嫁に行った姉も同じで、母から父のことを聞かされ、心配している。 時は遡って2年半前、私が宮崎でクリスタルヒーリング中級コースを終えた直後、観光で阿蘇を訪れ、金色の温泉に浸かって至福♪を味わった直後。 「親父を病院へ連れて行くか、行くように言ってくれ。 もしもお母さんにも何かあったら、お前が困るんだぞ。 姉の言葉は、私に義務を果たせと言っているかのように重たく感じられた。
「お父さん、いっぺん病院に行って検査してみたら。」 せっかく勇気を振り絞って言ったのに、父は話をそらして、テレビの話しを返してきた。 この時は、父に元気で長生きしてほしいというより、病状が進んでから面倒を看るのは大変だからという恐れや不安と義務感で言っていた。
もしも入院ということになれば、車が無いと生活できない田舎で、病院まで13km免許の無い母だけで通うのは大変だ。田舎はバス代も高い。 父のことで、いつかは帰らなければならないだろうと、ずっと思っていた。
少しでもまともなところが残っているうちに、父と一緒に暮らしたいと思った。 東京で進退きわまったことが現実的な引き金ではあるが、2年半前に姉から電話をもらった時とは、両親に対する思いが全く違う。
まずは、地元で介護の仕事をしている同級生Mに相談してみた。 「家族だけでは解決できないかもしれないね。そんな時こそ、公のものを利用した方がいいよ。要介護認定が下りれば、介護保険も使えるし。 あぁ、友人って本当にありがたい。なんていいやつなんだーーーーー!! で、友人との電話を切って、速攻、実家に電話。 友人からの提案を母に話したが、母は嫌がった。 「じゃあ、私がそっちに帰ってから、一緒に行くんだったら、いいでしょ?どんな解決策があるのかは全くわからないし、どうなるかわからないけど、行くだけ行ってみようよ。」 「そうだねぇ。お前が帰ってきたら、行ってみるか。」 あんなに不安そうに父のことをおかしいと言っていたのに、いざ自分が行動しなければならないとなると嫌がる母。 母親といえども完全無欠の神様なのではなく、この人も一人の人間なんだ、そして、私もこの母から同じ絶望感を受け継いできたんだ・・・。 無条件で母親に愛され認められている自分を体感し、安心し、自分が自分を認めることができるようになってきたところで、やっと、本当の意味での自立が始まったのだな、と感じた。 金銭的には全面的に親に頼って実家に帰ることになったが、それとは逆に、精神的には自立ができての帰還なのだ。 物理的に親と別居して自立できている気でいたが、精神的には逆だった。(ギャグだった?(笑)) もちろん、実家に帰ってからは金銭的にも自立できるよう行動するつもりだ。 しかし、ちょっと、ホッとできてよかった。 母は父のことを少し大袈裟に言って私に帰ってきてほしかったのだろう。 そして、役場に行くのが恥ずかしいのは、単なる変な思い込みなので、堂々と行こう。 やる前から無駄だなんて思わずに、行動しよう。 行動した結果がどうなるかにはこだわらずにやろう。 ひとつダメだったら、また次の道を考えて行動しよう。 どっちみち、行動した結果がどうなるかはコントロールできないのだし、自分の責任ではないのだから。 すべてのものがつながって成り立っている世界で、自分が責任を持てることなんてほとんど無いのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.21 23:02:56
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