2023年を振り返る ~家族論として~
「核家族化」から「家族制度の崩壊」へと日本社会は動いている。今や「シングル」と呼ばれる「母子家庭」(主として)は、まったく珍しいものではなくなった。44年前、自分が勤め始めた時に、母子家庭率は10%程度(それを「欠陥家庭」という差別的言辞で呼んでいた)だったが、今は25%くらいになっているのではないかと思う。さて、自分は核家族の一員として生まれた。父も母も兄弟姉妹は多く、大家族であった。だから、両親と自分は戦後の核家族第一世代、自分と妻と子どもたちは第二世代、そして息子夫婦、娘夫婦は第三世代ということになるだろう。このように核家族が再生産されていくのが、日本社会の依然として主流ではあるが、非正規雇用の増加や、女性の社会進出、高齢化などの要因によって「核家族」すら形成することが難しくなり、単身世帯が増えている。前二者については、非婚化、晩婚化という言葉でよく言われるが、最後の高齢化という要因による核家族の消滅は、自分たち夫婦にとっても、いつ起こるか分からないことだ。高齢者単身世帯は、年々増加し続けている。団塊世代の全員が後期高齢者となった時点で、「老老介護」は普通のこととなり、やがて夫婦の年齢差と男女の平均寿命の違いから考えても、女性高齢者の単身世帯が増加することになる。多くの世帯でそうであるように、男性の年金平均は15万ほどで、厚生年金部分は10万程度。女性は基礎年金+配偶者の75%の厚生年金部分を遺族年金として受け取るというのが、多数派だから12,3万円という生活保護世帯一歩手前の収入での暮らしを余儀なくされる。そういう「単身世帯」と非婚化による「単身世帯」が混在し、夫婦+子ども一人か二人という「標準世帯」はもはや「標準」ではなくなる。とここまで、どこかで書こうと考えていた「家族論」の基本的前提を書いてきたが、我が家の場合、子どもたちは核家族をそれぞれ作っている。自分たちの基本的考えは、とにかく高齢者単身世帯になったとしても、子どもたちのところに世話になるということはまったくない。それよりは、経済的に援助できる範囲で、親としての援助は続け、それが必要でなくなったら(もう今はそういうところに来たのだが)、後はお財布の紐の緩い「じじばば」として子どもたちの家族と付き合えばいいと考えている。年に1回は、息子のいる鹿児島に安いチケットを探して出かけることにしている。今年はANAの1区間7,000円というバーゲンチケットで行ってきたし、来年もJALの1区間8,000円~10,000円くらいのチケットを購入し、2月に行こうと思っている。札幌の娘のところは、もっと頻繁に行き来できるが、段々その回数は減りつつある。初孫はもう小学生。この前、久しぶりに娘がインフルでダウン、旦那さんは出張でSOSが来て、妻がヘルプに行った。鹿児島はなかなかそうは行かないのだが、行きは飛行機、帰りはJRで、鹿児島往復とさして変わらない。ともあれ、核家族第二世代の自分たちも、第三世代の息子夫婦、娘夫婦もどうやら無事に今年を過ごせたのだから、言うことはない。